私は障がい者就労支援施設で1年ちょっとパートで働いたことがある。10年近く前のことだ。 なんとなくやりがいがありそうだと思って応募してみた。 そこは民営の会社で、老人ホームやその他障がい者就労支援A型だのB型だのをいくつか経営していた。 初めに対応してくれたのは、とても穏やかで優しそうな幹部の人とその部下。さすが障がい者の対応をしているだけあって、できた人たちだ。これなら安心、と思った。 とりあえず一度見学してください、ということで私が就く施設のリーダーに電話するように言われた。 「もしもし、ああ、なんたらかんたら・・・・じゃ一度来てください」というような会話があったが、その声から私はすでにやばいものを感じていた。私よりは一回りほど若いと思われる女性の声。かなり投げやりで上からの物言い。この間の人たちと全然違うことにすでにビビった私であったが、とりあえず見学に行くことにした。 見学に行くと、15名ほどの人たちがすでに各々の職場に分かれて働いていた。仕事内容は、ねじの選別、こよりづくり、細かいことが出来る人はビーズ作りなどもしていた。私が主に働く場所は喫茶室ということであった。 簡単な軽食やらコーヒーを出しているそうだ。 案内されると、元気のいい女性の職員と、若い女の子、30歳くらいの女性がにこやかに私をむかえてくれた。 常連と思われる男性が一人、カウンターでコーヒーを飲んでいた。 窓が大きく明るい雰囲気。出しているコーヒーも注文を受けてから豆をひき、自分たちでドリップする本格的なものだった。 それゆえ、コーヒーのいい香りが部屋中に充満していた。 ぜひ働かせていただきたい、そう思った。

採用が決まり、朝初出勤すると、ワゴン車から利用者さんが次々と降りてきているところに出くわした。 毎朝、職員が利用者さんのお迎えに行っているそうだ。自分で車で来る人もいた。 二台のワゴン車でいっぱいになるくらいの人数が集まってきた。 まずは朝のミーティング。 コの字に並んだテーブルの席につき、リーダーが隣の職員室から出てくるのを待つ。 私たち職員は部屋の端の残ったパイプ椅子に座る。 なぜか張り詰めた空気が漂う。 リーダーが出てきて「はい、おはよう。じゃあ、今日やることを○○さんから発表していって。」と声をかける。とにかく態度が不機嫌。なんでそんなに睨むような表情でなげやりな言い方をするの?怖いじゃないか、と思った。 利用者さんはとても従順で静かにしている。ある女性の発表の時にリーダーが遮る。 「昨日、あなたやっちゃいけない、っていってることやったよね。」 「あれはなんたらかんたらで・・・。」と弁解する女性。 「口答えしなくていい。反省文を書いて提出! はい、次!」 (えーーーー?なんだこの世界は?)初日からさっそく衝撃を受けた私であった。 実は私は精神障害のことは詳しくはない。 ダウン症の人はすぐにわかった。あと、車いすの女性もいた。 他の人は多分統合失調症かなんかなんだな、と思った。(よくわからないが) でも中には、なんでこんなにまともな人が来ているの?という人もいた。 後で聞けば、どうもうつ病ということで、今は調子がいい時らしかった。

ミーティングのあとにはラジオ体操があった。 それぞれ空いている場所を見つけて、真面目に体操をする。私もはりきってラジオ体操をした。 それが終わると、先ほど発表した分担に分かれて作業が始まる。 一人の20代後半くらいの男性が「ちょっと、こっち来て来て。」と私を手招きして自分の場所に連れて行った。 彼は手先が器用で、ビーズ作品づくりをまかされていた。 箱の中には今まで作ったビーズの作品がいくつか入っていて、いろいろと説明してくれる。 「これは象で、これはハチで・・・色も自分で決めてるの。」 ストラップやブローチになっていて、文化祭やら催し物がある時にはそれを販売するということだった。 「わぁきれい…よくできてるね。私も一つ欲しいな。」 「あ、多分買えると思うけど、あとで聞いてあげる。」となんとも人懐こく、感じのいい男性だった。彼はなんの病気だったのか…少し薄弱な気はしたが、ぽっちゃりしていて表情が明るく、いつも笑みを浮かべていた。 他には、いつも独り言を言っている男性がいたが、こういう人はあまり作業に参加しなかった。ウロウロしながら何かをしゃべっている。でも気にする人は誰もいなく、なんとなく彼を受け入れていて、暖かく放っておいた。 また、このひもを通す仕事はおれの専売特許、とでも言いたげなせっかちおじいさんもいた。どうもいつも怒っているようだが、仕事だけは自己流でせかせかと一生懸命やっていた。 いつも困っている初老の女性もいた。「困ったよぅ。」と言うので、「なにか困っているんですか?」と私が尋ねると、「そう、作業してるんだけど、(なにか)が無くなっちゃってできないの。」「そうなんですか・・」と私が対応していると、他の女性職員がササっと寄ってきて、「いつもこんな調子だから、相手にしなくていいから。」と言う。「はい、○○さんはこれ使えばいいでしょ?席ついてね。」と慣れた感じでなだめてその場を終わらせた。とにかくまともに相手をしては、らちが明かないということなのだった。なるほど。

その施設ではリーダーの他に事務の女性社員1人、契約社員が男性2人、女性2人働いていた。 男性は送迎の車を運転したり、工場からの依頼製品の仕上げ、などを担当していた。口数が少ないが、感じはいい人たちだった。 女性2人はとても仲良くしていて、お互いの家を行き来することもあるようだった。 私の印象としては、ちょっとやばいな、という感じ。 リーダーがああいうタイプなので、他の女性2人もそれに追随している印象を受けた。 (仮に)Aさんは私より2年前、Bさんは私より1年前に働き始めたようである。 2人の中でも先輩後輩の感覚があるようだった。 Aさんは主に縫物を担当していて、2,3人の利用者さんとミシンを使って巾着などの作品を作っていた。 一番まともに見えたうつの女性が、彼女の一番弟子であった。 Aさんは先輩格なので、私にもいろいろ教えてくれた。 「リーダーは怖く見えるかもしれないけれど、本当は一番この施設のことを考えていて、頭が切れるいい人なのよ。」という。 (そうですか・・・?)と思う。 私の中では、リーダーに対する不信感をなかなかぬぐうことはできなかった。 実際、いつも怒鳴り散らしているのである。しかももう男言葉である。 「おまえがおかしいって言ってんだろ!ふざけんな!」とせかせかおじいさんを叱り飛ばす。おじいさんも頑固なので、なかなかやり方を変えようとしないのであった。 私は一度、リーダーが胸ぐらをつかんで威嚇しているところを目撃してしまった。 また、知的障害のある女性が書類になかなか署名しないのにイライラして、「早く書きなさい」と言ってシャーペンの先で彼女の手の甲を刺しているのも見てしまった。 そんなこともあったので、いい人なんだ、と言われても、ああそうですね、とはとても思えなかった。 確かにいつも威圧感を出しているリーダーであったが、うまくいったときには「上手に出来たじゃん。いいよ、いいよ。」とほめるシーンも見た。 結局、アメとムチを使い分けているのかもしれなかったが、ムチが怖すぎて、私的には人道的にアウトであった。言葉の威圧のあとに、いずれ訪れるかもしれないもの… 私はその片鱗を見ていたのである。
 

Aさんいわく、施設を運営するには利益も上げなくてはいけなくて、数字との戦いもあるのだそうだ。 工場に働きに行ったり、物販を販売したり、喫茶室を運営して、もちろん利用者さんのお小遣いになるのだが、半分(かどうかはわからないが)は施設の売り上げとして計上されているのであった。 リーダーの前にいた前リーダーは、雰囲気は優しかったが、全然数字を上げられなくて、ここを危うくつぶしそうになったという。 そこで替わって現れたのが、今のリーダーだったらしい。。 彼女は見事に数字を上げることに成功した。 「だから、リーダーがストレスを溜めて、つい利用者さんに強くあたってしまう気持ちわかるんだよね。私も頭が狂いそうになって、トイレで叫ぶことあるんだから。」とAさんは言うのであった。 しかし、私に言わせれば、ストレスを他人にぶつけるのはいかがなものか…?しかもあなたの場合は数字のストレスはないですよね?それなのに、トイレで叫ぶだけでは飽き足らず、かなり威圧的な態度で利用者さんに接しているではありませんか?といってやりたいのであった。 最初の1週間はいろいろな業務を体験するということで、ねじの選別や、布の裁断、などやらせてもらった。その時に周りを観察して思ったのである。 はたしてここでは、一般社会では許されないこと起きているのではないだろうか? そうこうしているうちに、いよいよ私の本来の職場の喫茶室で働く日がやってきた。 私のいた施設は2階建てのビルであった。 2階ではミーティングルームや軽作業するスペース、職員室などがあった。 1階には喫茶室、あとは大広間の空間があって、そこでねじの選別や、トナーの磨きなど、工場から持ち込んだ製品の作業が行われていた。 喫茶室は南側に面していて明るく、20代と30代の可愛らしい2人の女性が接客等を担当していた。
 

喫茶室の前任者は私より一回り以上若い、恰幅が良くて威勢のいいBさんだった。 多分昔はヤンキーだったんじゃないかな?という雰囲気をかもしだしていた。 「そんなに構えなくても大丈夫。この2人がだいたいのこと分かっているし、なんとかなるから。」という具合に、最初はずいぶん親切に声をかけてくれた。 一週間、一緒に働いて流れを教えてもらった。 なんとかなるよ、といいながら彼女の指示は細かかった。 週に2回、ランチの日があるのだが、その日は目がまわるような忙しさである。 ワンコイン(500円)で、けっこうボリュームのある食事とスープがつく。 リーダーがメニューを考え、作るのも担当するが、利用者のお母さんが2,3人手伝いに来てくれることになっていた。2階の台所で作ったものを喫茶室に運び込む。 利用者さんもランチを楽しみにしていて、かなりの予約が入る。 利用者さんはお昼休憩に入ると、喫茶室に来てお金を払い、トレーごと二階のミーティングルームにランチを運んで食べていた。。 一般のお客さんも事前に予約を取っておくので、だいたいの人数を把握して作ることはできるのだった。20名前後といったところであった。 カウンターにトレーを並べて、箸やナプキンなどをセッティングして、料理ができるのを待つ。そのトレーは何種類かの色があるのだが、並べ方の順番があるらしい。 右端から赤、青、ベージュ、紫、茶色、みたいな感じ。 「別に色はどうでもいいんだけれど、見た目がきれいでしょ?」とBさんはいう。 最初のうちは彼女の言う通り並べていたが、そのうち人によって量の調節があるので、トレーで色分けする方がいいんじゃないか?と思うようになった。 そして取りに来る順番もだいたい決まっていたので、それを入口から近い順に置いていくと、トレーの色はバラバラになるのであった。 私もそれなりに慣れていったのである。 しかし、それを見たBさんは気に入らない。 「こういう風に並べてって言ったよね。」てな具合である。 「でもこっちの方が効率がいいかなと思って…」と言うと、怒りをあからさまにして出ていくのであった。

また、メニューにはジュースやウーロン茶もあったのだが、蓋を開けた2ℓのペットボトルが2か月も3か月も冷蔵庫に入っていることに気がついた。 さすがにまずいだろう、と私は中身を捨てた。 たまにチェックに来るBさんが「なんで捨てたの?」と聞く。 「賞味期限はまだあったかもしれないけれど、封が開いてからずいぶん経ってたからまずいかな、と思って捨てました。」と言うと 「捨てるなら捨てると言ってくれる?今までおなか壊した人いないんだから。」とまたプンプンして出ていくのであった。 私はその頃にはすでにBさんからも威圧的なものを感じていて、だからといって彼女をたてる気もなく、“あーですか?こーですか?”と聞くのが嫌になっていた。 私が喫茶室を任されたんじゃなかったのか…? 結局、私は2,3か月ですっかりBさんに嫌われたのであった。 そんなに喫茶室のやり方にこだわりがあるなら、自分でやればいいのにと思ったが、ちょっと仕事に慣れたころBさんが話した。 「私がここに来た時に喫茶室の前任者が辞めていったから、デザートのメニューを考えたり、写真とって飾ったり、自分で全部決めてやってきたんだよね。それは別によかったんだけれど、あの人たち(20代の女性Cちゃん、30代女性Dさん)とこの空間に閉じこもっているのが苦痛でノイローゼになりそうになった。」というのである。 たしかに喫茶室はちょっと隔離されている場所にも感じる。 でも常連客さんがくればおしゃべりもするし、私はリーダーの怒鳴り声が聞こえないだけでも十分ここで満足していた。 BさんはリーダーやAさんの近くでタッグを組んで働きたいんだなぁ、と漠然と思った。 だって、CちゃんもÐさんも真面目で従順。そんなにストレスを感じることは私は全然なかったのである。

Cちゃんはほっそりしていて、きれいな娘だった。毎日ちゃんとお化粧をしてくる。 仕事は丁寧で飲み込みもいい。 朝の開店準備は彼女が全部やっていた。 のぼりを道の脇に立て、お湯を沸かし、テーブルを拭く。 そしてレジの釣銭チェックまで彼女がやっていたのである。 何より感心したのは、お客さんとのやりとりだ。 多くのお客さんは家族に障害者をもつ常連さんで、親近感をもってコーヒーを飲みに来てくれていた。そしてお喋りをしていくのである。 Cちゃんの受け答えは、年配者の人にはそれなりに丁寧に、同年代の人には親しみをもって接していて、出すぎず引っ込みすぎずを心得ていた。 しかしそんな彼女は、ふとした瞬間に、急にへんな世界に入ってしまう。 「昨日電車に木村拓哉が乗ってきたの。いや、ホントに。わたしびっくりしちゃって、あれ~木村さんですか?って聞いたら、そうだよって。ホントだって。」 というのである。私は初めは本当かどうか、わけが分からず、「Cちゃん、昨日電車乗ったの?」とまともにたずね返したものだ。 彼女はある日は道でばったりミッキーマウスに会っていた。うちに遊びに来たいというので連れて行ったそうである。 Bさんはこれが我慢できなかったのか… 「嘘をついちゃいけない、って何度も言ったんだけど、全然ダメ。病気だから仕方ないと思って言わせてるけど、こっちがおかしくなる。」とぼやいていた。 でもこちらが、ホラなになにをやらなきゃ、と現実に戻す発言をすると、ハッとしていそいそとまた働き始めるCちゃんなのだった。 そんな妄想話、かわいいもんじゃん、と私は思っていた。

Dさんを最初は全然表情がない女性だな、と思った。ずっと斜め下を見つめて背中を丸め、自分の世界に入っているように見えた。 お化粧はちゃんとしてくる。何かを話しかけると「はい。」と返事をするが、余計なことは話さなかった。緊張しているように見えたので、私もあまり深く話しかけることはしなかった。 Bさんに言わせると、あまり仕事はできない、ということで、洗い物を専門にやってもらっていた。ちょっと動きがゆっくりである。でもその分、洗う時の音も静かで丁寧だな、と思った。 たしか彼女は自分で車を運転してくることもあったと思う。 そしてお昼の休憩時間や帰りの時など、利用者さん同士で談笑する姿を見ることもあった。 (あれ?全然普通じゃん)と思った私は、なんとなく話をふるようにしていった。 慣れてくると、なんと彼女は饒舌のうちにはいるほど、興味深い話もしてくれた。職員の性質を実はよく観察していたようで、過去にあった出来事など、「よくは分からないけど…」と教えてくれることもあった。そうなるには半年くらいかかった気がするが…。 家族の仲はいいようで、健康ランドに行くのが好きなようだった。 ただ薬が強いと、気分が悪くなったり、疲れたりすると言っていた。。 (Ðさん、演じてるんじゃないの?)とびっくりしたものである。 あまり多くを語らなかったが、どうも過去にいじめを受けたがあるようで、その時から心を閉ざすようになったのかな?と勝手に想像している。 心配した家族が病院に連れて行って、薬によってよけいに病状が悪くなるパターンではなかったか? とにかく私は、この利用者さん二人と喫茶室で仲良く働くことができたのであった。