私が友達同士で初めて遊園地に行ったのは、西武遊園地であった。 小学校6年生のときだったかな・・・5人くらいで行った。 親の反対にあうかと思いきや、私はけっこう友達のお母さんから信頼されていたらしく、○○ちゃん(私)が一緒ならいいわよ、と言ってもらった。 私の母も、そう言ってくれるなら、という感じでオッケイしてくれた。 時刻を調べて、切符を買って、電車に乗って、それはもう初めてのおつかい並みに興奮し、楽しみに出かけて行ったものだ。 東京は子供のうちからあちらこちらに遊びに行けるところがあって、本当にいいなぁ、と田舎に住んでいると思ってしまう。 私の子供たちは、小学生の時にこんな楽しいお出かけはできていない。せいぜい高校生になってから。でも違う楽しみもあるはずだから、まぁ良しとしよう。 当時はまだフリーパスが無かった。 チケットが一冊になっていて、金額によって乗れる乗り物が違ったように覚えている。 一通り乗りたい乗り物に乗って、私たちは最後のチケットで、お化け屋敷に向かった。 私はその頃から怖がりだったのだが、自覚がなく、行くちょっと前までは「行こう行こう」と乗り気のくせに、いざとなるとビビッてしまう癖があった。 チケットを渡して、いよいよ中に入っていかなければならない時に、誰が最初に行くかでかなりもめた。 結局私が先頭になったのかな? 覚悟を決めて一歩を踏み出したとたん、横から人形がドバっと飛び出してきた。 まだ入る前である。私たちは腰を抜かして将棋倒しに倒れてしまった。大笑いしたが、こうなるともう絶対に中には入れない。怖すぎる。でもチケットは渡してしまっていた。 そんな私たちがとった行動。 「誰か大人の人、いっしょに入ってくださーい」と呼び込みを始めたのである。 来てくれた人はいた。でも、スイスイ入って行ってしまい、私たちはその波に乗ることができなかった。 その後何組目かの大人と、ようやく私たちは中に入ることができたのだが、たぶん叫びまくっていたので、一緒になった人には迷惑をかけたことと思う。 そんな思いをして入ったお化け屋敷だが、中のことは何も覚えていない。 ただあの将棋倒しのシーンは今でも胸に焼き付いている。強烈な想い出である。

『遊園地の想い出 partⅡ』 私は兄弟がいないのだが、いとこと子供のころから交流していて、いとこの子供たちと私の子供たちがちょうどいとこのような関係であった。 家族ぐるみの付き合いというやつである。 3家族でキャンプに行ったりしたものだが、この時は富士急ハイランドに出かけた。 富士急ハイランドはとにかく過激な乗り物が多い。 “ド・ドドンパ”では、急な加速にむち打ちになるかと思った。 覚悟はしていたが想像以上で、しかもその速度でU字で登って降りるところは、気を失いそうになった。 “ええじゃないか”は当時デビューしたばかりで、靴もはいたまま乗った気がする。やたらと振り回されるので靴が脱げるんじゃないか、とずっと気がかりで疲れるばかりであった。 そして最後のおおとりでは、やはり“FUJIYAMA”。当時はコース全長が世界一でギネスに認定されていた。近くで見ると迫力がある。 半分(乗りたくないな~)という気持ちを抱えていたが、一番下の娘がギリギリ身長規制をクリアして、乗れることになってしまった。 「おかーさんも行こうよ―」と娘に強く誘われて一緒に並ぶ羽目に。私が行かないと奇数になってしまうのだ。いとこたちの手前、あまりわがままも言えない。 列が進むたびに胸の動悸が激しくなる。 「きゃー、ドキドキするねー。」などと話す周りの人たちだったが、私はそんな口をきく気もしなかった。どんどん憂鬱になる。 そしてついに順番が来てしまった。 末娘の隣に乗り込む。係り員さんが順番に安全バーを下ろす。もう一度係り員さんが確認に来る。いよいよ発車する。 と思ったその時「すいませーん、やっぱり降りますぅ。」と手をあげる私。 ごめん、娘、でもやっぱりムリ。 私はすごすごと席を降り、娘のあ然とした視線を感じながら、スタッフとともに「いってらっしゃーい」と手を振って見送ったのであった。 結局、ジェットコースターって怖いよね、というのが私の結論である。 つい先日もこの時の話題になり、 「なにこの人、マジで信じられん、と思ったわ。」と半泣き笑いで娘に訴えられた。 私の手を振る姿が脳裏に焼き付いてしまったそうだ。・・・母親に裏切られた思い出。 でもその後、子供たちがどうしても私を許せなかったらしく、強制的にもう一度乗せられたんですけどね。 本当の罰ゲームだった・・・。