中学の夏休みの部活で思い出す光景がまた一つ。 私は学校のすぐ近くの団地に住んでいた。300Mくらい、歩いて4、5分。 さっさと一人で行けばいいのに、必ず友達と待ち合わせて行く約束をしたものだ。 家から30Mくらいのところにある四つ角で、ひたすら友達二人を待つ。 その二人はけっこう遠くから通っていて、ダラダラしゃべりながら来るので、時間通りに来たためしがなかった。 ある日は何十分も来なかった。 (どうしようかな、先に行っちゃおうかな、でもまだ間に合うしな…)と自問自答すること30分。 ようやく二人がこちらに向かって走っている姿を見つけると、なぜかホッとして涙ぐんだものだ。 「ごめんね~、○○ちゃんがトイレ行きたくなっちゃって、戻ってたりしたら遅くなっちゃった。」 「うん、大丈夫。」といってそっと涙をぬぐう。 「ほら~○○(私の名前)泣いちゃったじゃーん。ほんとごめんね~。」 今から考えると、なんでそんなにかたくなに待ち続けたのかよくわからない。 すぐ先の中学校に行くだけのことである。 たぶん約束を破る不快感が私を支配していたのだろう。 今の人たちは携帯ですぐ連絡ができるし、ゲームやユーチューブを見ながら時間つぶしができるからいいよなぁと思う。 でもいいような反面、もしかしたら、だからこその不安はあるかもしれない。 いつでも連絡するのが当たり前で、それがない時の不安・・・とか。 いつの時代も人である以上、不安はついてまわるんだな、きっと。