田舎に住んでいると、どうしても”組織”という言葉が常に頭のどこかに意識されている気がする。
私が東京から移り住む時に、親せきからは「田舎は大変だよ~、隣三軒両隣でいつも地域のことが付いてまわるから」と釘をさされた。
もちろん住むからには地域のことに貢献するのは当然だと思っていたし、役員を受けることもいとわなかった。
でも住んでいるうちに、本当に大変なことが身にしみてわかってきた。
コミュニティが多すぎるのである。
隣組の当番長はさることながら、地区、分館、安全委員会、子供会、婦人会、祭典委員会、数えればきりがないほどのコミュニティが存在する。
しかも会合が好きなのか、しょっちゅう会合があり、その後その場で飲み会になる。
最近では男性も準備片づけを一緒にやるが、ちょっと前までつまみの準備や片付けは女性の役目。
地域に馴染もうと、最初は頑張って参加していたが、だんだん馬鹿らしくなってしまった。
年が明けて誰かが数人で夜にピンポーンして訪れてくると、(あっ、また役を受けてくれの依頼か?)と戦々恐々とする。
断れば「あそこはいつも断ってくるけどろくなもんじゃない」と噂される。
何回か受けている人には(本当にいい人だと思う)「あの人は好きでやってるんだからいいんだ」という人が出てくる。
行くも地獄戻るも地獄というが、受ければ地獄断るも地獄、である。
これさえ無くなれば、田舎は本当に住みやすくなるのだが、といつも思う。
コロナで行事が縮小され、簡略化されることが多くなったが、これがずっと続くことを願う。
今朝の公民館の掃除のときに、「お祭りの時の班長はどうするか?」とみんなで話しているときに改めて感じたことであった。