「殺された側の論理」 | 月灯りの舞

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自虐なユカリーヌのきまぐれ読書日記

先々週、最終回だったドラマ「それでも生きてゆく」は
被害者の兄と加害者の妹が関わって行く話だった。


それを禁断の愛的な安易なラブストーリーにせず、
それぞれの家族の苦悩を偏ることなく表し、
再生していく姿を丁寧に描いていたため、
奥行きのある深いドラマになっていた。


被害者の辛さは当然であるが、
加害者の家族の辛さが、それ以上であることもわかる。


ただ事件の当事者同志だけにとどまらず、
一つの事件の裏には多くの人の苦悩が存在する。

そんなドラマを観終わって、読んだ事件ルポ本。



【殺された側の論理
   -犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」】


藤井 誠二 :著
講談社/2011.8.20/838円
凶悪犯罪の犠牲者遺族が赤裸々に語る、
大切な人を奪われた喪失感と加害者への憎しみ。
そして、尽きることのない苦悩。


月灯りの舞


滋賀県大津市少年リンチ死事件ほか、
100を超える犯罪被害者遺族を取材し続ける
著者渾身の社会派ノンフィクション。
           <裏表紙より>



どんなに声高に「死刑廃止論」を唱えるものも、
この本に書かれている被害者、遺族側の悲しみ、苦しさ
あまりにも悲惨で憤るしかない現状を目の当たりにすると、
言葉を失い、振りあげたこぶしも固まってしまうであろう。


その辛さや苦しみをなかなか表す機会がないまま
「法」という元で処理されてしまう事件の裏で
犯罪被害者たちは悔し涙を流すだけ。

そんな彼らの側に立って、「現状」を伝えている本。


あまりに凄惨すぎる事件、理不尽さや法のもどかしさが
あふれる。
平気で人を殺めるモノたちに反省などということが
できるのか。
ましてや被害者の気持ち、遺族の想いなど
解ろうはずもないのではないかと思う。


例え、刑が確定したとしても
亡くなった人は戻ってこないという当たり前の
辛い「現実」の前で、加害者への恨みをどう抱えて生きるのか、
重くのしかかって、考えさせられる。


光母子殺人事件の遺族は
「これから人を恨む感情と闘っていかなければならない。
 慣れることやコントロールすることはあると思うけど、
 それがなくなることはないと思う」と、語っている。


少し前に観た「ヘブンズストーリー」は
光母子殺人事件をモチーフにした映画だったが、
その中で、遺族が加害者への恨みを消化しようとした時、
別の事件の遺族がそれをなじるシーンがあった。


遺族は被害者のために恨み続けなければならないのか。
事件を忘れて、幸せになろうとすることは許されないのか……。



人を赦すことで楽になれるのか、
恨み続けることで生きていけるのか。

そんな想いをつきつけられた。



★「ヘヴンズストーリー」
http://ameblo.jp/tsukikagenomai/entry-10921542992.html



殺された側の論理 犯罪被害者遺族が望む「罰」と「権利」 (講談社プラスアルファ文庫)/藤井 誠二
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