『僕たちは美しく生きていけるのだろうか。』茂木健一郎さんの本。 | 富田林・じないまちの 本と雑貨 『緑の小道』日記

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富田林市には大阪府唯一の重要伝統的建造物群保存地区の寺内町があります。古本&雑貨屋店主の日々の雑記や愛読書紹介のブログです。2021年に母を亡くした後から苦しい日々となり、心はまだ鬱状態で動悸もありしんどいですが、毎日なんとか乗り越えてます。

赤毛のアン好きで知られる茂木健一郎さんの、こんな本を店に置きます。
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『僕たちは美しく生きていけるのだろうか。』
幻冬舎

『美は、決して贅沢品ではない。生きることの基本条件が満たされた後で初めて、美に思いが至るのではない。
むしろ、私たち人間にとっては、肉体が呼吸を必要とするのと同じように、精神は美を必要とするのである。
美しいものを見た時に活動する脳の部位は、人生を楽観的に生きる上で必要不可欠な働きをする。
...美とは、生きることそのものにつながる何ものかである。』

『「心が美しい」というと、たとえば春の日に桜の花が咲いているような、そんな温かくかわいらしい状態を思い描くかもしれない。
もちろん、そのような心の美しさもある。
...一方で、人生は雨の日も晴れの日もある。飛び上がるほどうれしい日もあるけれども、果てしなく落ち込むこともある。自分自身と調和がとれているように感じることもあるし、どうしても自分というものに違和感を抱いてしまうこともある。「心の美しさ」は、そのような浮き沈みや摩擦や、ネガティヴな思いや、激動をくぐり抜けて、やがて生まれてくるもの。
精一杯生きていい。挫折して、暗い気持ちになって、そしてまた立ち上がればいい。
その中で、この上なく美しい心が、あなたの人生に降臨するということは確かにある。』


『美しく生きることと、マラソンを走ることは似ている。
どんなに体調が悪くても、状況が思わしくなくても、人生という舞台から逃げるわけにはいかない。進み続けることにこそ、意味がある。とぼとぼと歩いても良い。時には、伴走車に乗り込んでしまってもいい。
だが決して、自分のレースを投げ出してはいけない。

自分自身から逃げられない、という状況は苦しい。しかし、それがすべての人間の運命でもある。マラソンでは、走っているうちに、何とも言えない気分の高揚が訪れることがある。
ランナーズ・ハイ。
生きるということの美しさは、人生を逃げずに走り続けている人に訪れる精神のランナーズ・ハイに似ている。

自分の宿命から逃げずに懸命に立ち向かうその姿に、神は必ず「美」という月桂冠の栄誉を与えてくれるのだ。』

『僕たちは美しく生きていけるのだろうか。』より