世間体ばかり気にして生きていることは、自分と自分に関わる人たちの気持ちをないがしろにすることになります。
目指すべきは、自分と周囲の幸せです。
世間にどう思われようが、変わった人、かわいそうな人と思われようが、誰も犠牲にすることなく、本当に自分自身が幸せだと思う道が見つかればそれで良いのです。
自分の思う道に、大勢の許可はいらないはずですが、世間に認められることで、自分は他者よりもすごい人、世間の中で上位だと思いたいのかもしれません。
しかし、世間体を気にしていると、自分の中に世間のルールが同化していきます。
また、このルールは一度同化されるとなかなかアップデートはされ難いです。
そのルールを元に現実問題に対応していくことになりますから、世間体から外れた対応はなかなかできません。
世間体が良くなることを第一に考えてしまいますので、問題を隠したり先延ばししたり、早期解決しようとして、からまわりするでしょう。
目の前の仲間ではなく、誰のことかもよく分からない世間に認められたいのはなぜなのでしょう。
それは自分の不幸を世間のせいにしているからではないでしょうか。
過去の悲しいの出来事を、自分の反省と捉えるのではなく、世間のルールのせいにする。
どうしようもないもののせいにする。
そうすると、そのどうしようもないものに縛られていきます。
不思議ですが、そういう仕組みです。
自分で反省することは、自分が変わることで事態が変化する可能性を示しますが、周りのせいにすることは自分はその周りより無力だと認めることになるからです。
自分の中の世間に対応するよりも、目の前の一人一人との時間を大切にしたいです。