京都 出町柳
フラワーアレンジメント教室
月ノヒナタです。
 
 
 
改めまして、自己紹介です。
 
 
 
 
 
さかい なおこ。
京都生まれ、京都育ち。
 
三兄弟の真ん中、
兄、弟にはさまれて育ちました。
 
地元の小中学を卒業後、公立高校へ。
高校時代は、吹奏楽部に打ち込んだ3年間でした。
 
将来は、保育園の先生になりたいと思い
兵庫県の短大の幼児教育科へ。
 
楽しい学びでしたが、
就職の時には少し思いが変わり
「大人の中で働きたい」と
一般企業を希望しました。
 
接客が好きだったという単純な理由で
百貨店へ就職。
 
 
ところが、就職した年の8月、
体調を崩し、そのまま突然の入院生活へ突入。
長期入退院することになりました。
 
結構大病を患ったのですが
当時はインターネットもない時代。
調べるすべもなく、
というか調べようと思いもしませんでしたが・・・
 
元気が取り柄みたいな私が
急に入院したので、家族にも友人にも
いっぱい心配かけたな・・・と思います。
 
 
ただ、「治る」と信じて疑わなかった私は
長い長い4年半を超え
無事、もう大丈夫と
お医者さんに言っていただいたのでした。
 
 
ただただ感謝の
助けていただいた命だと思います。
 
 
この頃の体験や経験した気持ちは
私の心の中の、大事な箱のようなものの中にしまっていて
今までも、滅多に人にも言わなかったのですが
もういいかなと思い、今回書いてみることにしました。
 
 
 
「よくがんばった」と
今さらですが
私に言ってあげたくなりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
その後は、
少しずつアルバイトをしながら社会復帰をして・・・
 
これからどうしようか、、、
と考えたとき、
小さい頃からインテリア雑誌を
見ることが好きだったので
インテリアコーディーネーターになる勉強をはじめました。
 
昼間はカフェでバイトしながら
週1回、夜間のインテリア専門学校へ通いました。
 
大量の課題と格闘した2年間でしたが
好きなことだったので楽しい日々でした。
 
 
そして、卒業後は
インテリア関係の仕事に就いたのですが
どうも上手く続かず・・・
 
そうこうしているうちに
父の体調が悪くなり、入退院するようになりました。
お見舞いに花を持っていったり
退院してきたときにお手洗いに飾った一輪を
思いのほか、父が喜んでくれていました。
 
 
その時に、はじめて
「花の力」のようなものを感じたと思います。
 
インテリアは大きなものだけど
花は1輪で、人を幸せな気持ちにすることができる、と。
 
 
 
 
 
 
 
そして、父が亡くなった後、
花屋の求人広告が目に留まりました。
 
元々なんとなく
花屋は気になっていた職業でもあり
でも全くわからない世界・・・
「初心者歓迎」の文字を頼りに応募。
アルバイトとして雇っていただけました。
 
その後、約13年働かせていただいた花屋です。
 
大阪が本店のその花屋では、
本当に花の知識も、技術も
何にもない状態からのスタートでしたので

「スポンジが吸収するかのように・・」

とはこのことか、という感じで

全てが楽しく、面白く、興味深く・・・

一気に花仕事の世界へ入っていきました。
 
 
ただ、
“一生懸命だけど
とろい、うまくない、成長が遅い・・・”
 
そんなスタッフだったと自覚してます。
 
 
でも、先輩方は根気よく
愛ある指導をしてくださり
本当に基本のキから丁寧に教えてくださいました。
 
この4年ほど在籍した最初の店舗での
店長はじめ先輩方との出逢いが、
花は楽しい!と思わせていただけた
きっかけだったので、もう感謝しかありません。
 
 
最初の店舗はホテル店だったのですが
その後、ハウスウェディング店への異動となりました。
と同時にアルバイトから社員へ。
 
オープニングスタッフだったので
もう、それは・・・恐ろしく激務でした!
 
ひとり暮らしのスタッフ同士
朝4:30に携帯を1コールだけして起こしあい
夜は、終電に間に合うように走る・・・
 
会社全体、店舗のみんな
ほんとに文字通り必死!でした。
 
でも、そのハウスウエディング施設は
本当に想いが素晴らしく・・・
結婚式を、新郎様新婦様を大切にしていて
その「想い」に私たち装花スタッフはもちろん
美容や衣装や写真など・・・
それぞれのスタッフもがんばれたんだと思います。
 
 
 
そして、数年経ち。。。
 
同じ系列のウエディング施設に
横浜店ができるということで
またまたオープニングスタッフとして異動となりました。
初の関東暮らし。
 
最初は、
“大阪の花屋に何ができるの?”
という上から目線の雰囲気や
無言の「圧」に店長と共に戦ってました!
 
「っくっそ~~~!!!」
と思いながら、気分を盛り上げる曲を聴き
地下鉄の階段を上っていた記憶があります。
 
そうして数ヶ月経った頃には
少しずつ信頼していただけるようになり・・・
気持ちよく仕事ができるようになりました。
認めていただけたことが、うれしかったです。
 
結局、4年半程横浜に在籍していましたが
その間、3.11が起こり
故郷への想いが強くなり・・・
大阪への異動願いを出しました。
 
 
大阪へ戻ってきて、また元の店舗へ。
その後は、約1年で退社を希望しました。
 
もう、ブライダルはやりきった
と思えたのが一番の理由です。
そして、ちょっと休憩したかった
というのも本音です。
 
 
ものすごく濃い日々でした。
大切な仲間にも出会えて、
素敵なお客様にも沢山出会えました。
そして、ほんとに沢山の花に触れた幸せな毎日でした。
 
 
 
 
 
そして。。。
 
 
思いのほか長くなってきましたので・・・
次回へ続きます!こちら♡