帰路にていつも見る、無様に大きく枝を伸ばした遅咲きの梅が散ったことで、随分と歩の機嫌は損ねられたものだった。
常日頃からいかに憧憬を覚えても触れぬようにと心がけてきたその枝も、このときばかりは手折って振り振り家路についた。
枝の形になると何の木だかまるで分からないことに、歩はいささかの落胆を覚えたものだ。

歩は桜が好きではない。普段はそこらの凡庸な木とさして変わらぬ外見をしているくせに、毎年芽吹きの季節になると軽薄な桜色で人を誘うそのありように昔から嫌悪を覚えたものだった。尤も、それは客観的判断によれば単に皆と同じは嫌だという子供らしい虚栄心の発露であったのだろうが、ともあれ歩は梅を好んだ。
動機はさておき親しめば情は移るものであり、いくらもしないうち本当に梅の方が好きになってきた。渋い趣味だと周囲の大人に可愛がられるのも手伝って、いつしかこの嗜好をある種誇りのように思っていた歩にとって、今回のことはひどい裏切りのように感じられた。

スピリタスの強烈な刺激が僕の脳を漂白した。迎え酒なる悪しき慣習により僕の不快感はいささかばかり先送りにされる。



同時に少々の浮遊感。なるほど、悪くない。飲酒行為に二日酔いというリスクを背負う価値があるかは知ったことではないが、なかなかに心地よい瞬間である。



とは言え反省出来ない人間ではない僕としては思うところもある。ゆうべは飲み過ぎたようだ。飲酒により獲得される快・不快の総量を功利主義的に比較することは酩酊により記憶を失う僕には土台無理な話ではあるが、それでも酒に呑まれ続ける人間が一定量存在するというのはなかなか興味深い事実である。



何しろ酒はタダではないのだ。不快が勝るというならそれは無駄遣いでしかない。衝動の赴くままに無軌道な消費行動を繰り返す十代の若者なら兎も角、我が国で二日酔いに苦しむことを法的に許可されたいい大人が、稚拙な自傷行為の代替として金をドブに捨てて日々のストレスを発散するとは信じたくない。金を費やすに足る価値が恐らく本当に酒にはあるのだろう。



あるいは喉元過ぎれば熱さ忘れるといった人間のいい加減な記憶力、朝起きたらば記憶失うといった僕のいい加減な体質こそが問題の本質なのかもしれないが。



ところで、泥濁した僕のとりとめもない戯言はともかく、その金こそ目下の問題である。思い出すだに滑稽な現在の所持金を思うにつけ何らかの漫画的衝動に動かされた僕は、安い革を使った二つ折りの財布をさかさまにひっくり返した。飛び出してきたのは日本国の補助硬貨の、最大単位が一枚と最小単位が二枚。



今日の日付を鑑みれば、いやはや502円とは甚だ滑稽な数値である。今後の僕は生活するという無理難題にいかにして応えていけばよいものか。昨日の時点では少なくともかの偉人の肖像を三枚は所持していたはずなのだが、全くもって富裕とは浮遊の種であるに過ぎないものだ。



失われた富裕と来るべき貧困を忘れるため、僕は酒を手に取った。いずれ確実に来たるアセトアルデヒドと貧困の恐怖は想像するだにぞっとしないが、とりあえず今は浮遊に酔うとしよう。