認知症患者の幸せの基準は、
目の前の人間が、敵か、味方か、 好きか(好感がもてる)、嫌いか(嫌悪感を感じる)
今、居心地が良いか、居心地が悪いか、 快適か、不愉快か、 満腹か、空腹か、
喉が乾いているか、潤っているか、 甘いか、酸っぱいか(苦い、辛い、しょっぱい)
つまり、失礼な比較かも知れないが幼児、新生児のそれにちかいのである
認知症患者にも、幼児、新生児にも、施設が決めて、施設の都合で押し付けてくる規則や、時間、
制限、ルールは不愉快で嫌なもので、彼らの理解と認識の枠ををこえるものである。。
自由や、快適さを奪い、犯すもの以外の何ものでもない。
逆にいえば、彼らは味方で、信頼できる人間がそばにいて、快適で、居心地がよく、空腹と喉の
渇きを察してくれて、甘いものが有り、人間関係が満たされる限り、怒ったり、失望したり、裏切られ
たとは感じない人達であり、幸せにすることが難しい人達ではないことは明らかではないだろうか。
介護専用施設のおいては、入居者のほぼ8割が認知症と実態があり?され、そのうちの1~2割
に至っては、社会的な判断能力も失われているようだ。 そのような状況において、団体、集合
生活を理由に、(口実に、行政の基準、指導を盾に)、様々な管理規定を実施することは愚かなこ
とであり不可能なことである。
ホームの入居者の価値判断能力は、一様でなく、様々であることは間違いないが、認知症の
前の段階である高齢期においては、ハーバード大学の75年間にわたる継続調査による人間観察
の結果である、『良き人間関係こそ健康と幸福のみなもと』 という報告と、100年前に、米国の
作家、マーク・トーウエインの言葉、『人生は短く、儚い、諍い、謝罪、妬み、責任追及などの時間
はない。』 にホーム入居者の求める理想の暮らしと環境が示されているといっても過言ではない
だろう。
認知症の方がたも含めて入居者に満足と幸せを感じてもらうには、
① 十分なスタッフの総数(質を伴う)を揃えること (入居者の総数に対して最低75%以上)
② 気持ち、心を込めて誠実に、真摯に対応する人財を揃える
③ 認知症を理解し、入居者一人、一人のニーズに対応する経験、知識、技術を習得すること
介護サービスにおいては、ずぶの素人のヘルパーさんが入居者の絶対の信頼を勝ちい取り、介
護の経験10年を超えるベテランよりも人気がある場合もあり得るのが介護職のユニークな点では
なかろうか。経験、知識、スキルは貴重なものだが、幼児、新生児のような感性、情緒のセンサー
が鋭い認知症高齢者には新人の真摯さ,ひたむきさこそが有り難いのではなかろうか。
通常、情緒、感情の世界に生きる高齢者、認知症患者には『ハイテク』はそぐわず、『ハイタッチ』
こそが求められるが、誠実で、真摯で、丁寧な言葉遣いがプログラムされた人口知能を備えた
ロボットは、タメ口も聞かず、尊敬・丁寧・謙譲語でおしゃべりできる場合、生返事や、やる気の
ない横を向いの返事、小馬鹿にした返事を返す、生身の人間よりも、入居者に好かれて、信頼さ
れる話相手となるのではなかろうか。身体介護の分野では、余り期待しないロボットだが、会話と
なると意地の悪い、ひねくれた職員よりも好ましい相手となる日がくるような気がする。