謝ったからって無くなるわけじゃないのにね




いつも思う

誰かに自分のことを話すことは


その人に僕の傷を見せることで

いっしょに傷ついてもらうことで

僕が誰かをナイフで刺す感覚


無関係なのに

相手が上手く傷ついてくれなかったら

悲しくなって怒り狂って


うまく傷ついてくれたら

満たされてしまうこの気持ちは

きっと本来の意味からはかけ離れてしまって

自分が他人に何かを期待しなければ

自分も期待されない  なんて


そんなことは無いはずなのにね


それが正しいとか間違っているとか

そういうことではなく


あまりわからない というのが本音



えーっ 心配!  すき!!!

だとかって言われたことはあるし

これが嫌だ というわけではないけれど


こういうことを言ったくせに

僕の前から居なくなるなら 言わないでほしいし

変な文脈だなと思うわけで


何も言われなくても

結局は自分が大切なのかなと思ってしまうし


どうせ  僕は差異に敏感だから




自分が10という程度で

相手に何かしてあげたら

自分も10してほしい と思うことは当たり前で


僕は相手からたくさんもらえばそれ以上に返すし

もらえなければ最低限でいい


でも この意見はマイノリティらしい



ワタシが ボクが

10するんだから12するのが

当たり前でしょう?   っていう人がたくさんいて


僕はそれにはついていけなかった


大学でも

他人の悪口を言う人同士が

ニコニコと笑いあっていて気持ち悪くて

仕方なくて


それを言うと だから何    って言われて


友達の意味がわからなくもなった



小さな頃からのたくさんのいじめという名の

排斥行為は僕のことを壊すのに十分で


みんな  自分のために生きているんだって

所謂 フツウ の人は

死にたくなんてならないらしい


いじめはどうすればなくなりますか

っていう授業で  無くなりません

と答えたら生活指導室で指導され


存在が邪魔なんだって

僕はいるだけで不快だとか

心が読まれているような気がして気持ち悪いとか

女子力が高すぎて気持ち悪いとか

頭が良くて気持ち悪いとか

机の上に大きなバツが書いてあったり

自分の持ち物がゴミ箱の中にあったり


面白いね



さらに面白いのが

先生は見て見ぬふりをする

僕の成績表に1番いい成績だけをつけて

僕が授業に出なくても

いい成績はくれた


高校の時も

僕って何をしたんだろうか

分かるわけないかもしれないけれどね


何がダメだったんだろうか

勉強だけは頑張ったし

誰よりも努力した      つもりだった


でもいつからか勉強すらできなくなってしまった

神様は僕から勉強さえも奪った

自分の命に価値を見いだせなくて

ダラダラと生きている


いや  元々勉強さえできなかったのかもしれない


じゃあ僕は一体なんだ

何の為に生きている

どうして鼓動が止まらないんだ


食べているご飯も 水分も

結局ゴミの掃き溜めでしかなくて


いずれ死ぬのになぁ




ぱっ   死にたい





認められたいし

死にたくないし




愛されたい




でも死にたいし

わーっ   って消えたい


明日乗る電車に飛び込んでしまいたい

名も顔も知らない人に迷惑がられて

死んでも悪意を向けられるのは嫌だなぁ



自分の言葉で 自分の命で


全部自分主体に包まれたいんだと思う



厄介だな