角膜移植手術後 1日目の検診結果
ちょっとグロテスクですので、注意してみてください。
さて、昨日手術後初日の経過を残しておきます。
経過は良好のようであります。
ただ、やはり、血管の侵入との戦いのようであります。

上は、初日の角膜の全貌です。
周りに血管が多く、そこから出血しているのがわかりますね。
なんとなく全体的に白いのは眼球がむくんでいるからのようであります。

こちらは、角膜の上の膜(皮膚のようなもの)である皮膚の貼り具合をしめした写真です。
黄色の部分はまだ上皮がない部分です。
この部分に徐々に自分の上皮が移植された角膜の上に貼っていくようです。
上皮がないと、角膜が直接さらされた状態であるため、感染症などの危険が高まるようであります。
まずは、上皮がはやく角膜全体を覆うことが必要のようです。
あとは、血管の侵入を食い止め拒絶反応をおさえる必要があるようです。
初日の朝からステロイドを服用するようになりました。
ステロイド服用により免疫力が低下するため、面会時のマスク着用とうがいの徹底を申し受けました。
まだまだ、右目の焦点があいませんので、結局左目だけでPC打ってます。
それにしてもなんだか眠い。
さて、昨日手術後初日の経過を残しておきます。
経過は良好のようであります。
ただ、やはり、血管の侵入との戦いのようであります。

上は、初日の角膜の全貌です。
周りに血管が多く、そこから出血しているのがわかりますね。
なんとなく全体的に白いのは眼球がむくんでいるからのようであります。

こちらは、角膜の上の膜(皮膚のようなもの)である皮膚の貼り具合をしめした写真です。
黄色の部分はまだ上皮がない部分です。
この部分に徐々に自分の上皮が移植された角膜の上に貼っていくようです。
上皮がないと、角膜が直接さらされた状態であるため、感染症などの危険が高まるようであります。
まずは、上皮がはやく角膜全体を覆うことが必要のようです。
あとは、血管の侵入を食い止め拒絶反応をおさえる必要があるようです。
初日の朝からステロイドを服用するようになりました。
ステロイド服用により免疫力が低下するため、面会時のマスク着用とうがいの徹底を申し受けました。
まだまだ、右目の焦点があいませんので、結局左目だけでPC打ってます。
それにしてもなんだか眠い。
角膜移植手術当日の回顧録
手術が終わり一夜あけました。忘れないうちに昨日からのことメモっておきます。
6:00:起床



前日
9時以降飲み食いなしです。
手術中に排尿・排便を我慢してしまい。いきんでしまったりすると、角膜を切除した際に、眼球の中から水晶体などが飛び出てしまうからのようです。
6:00:起床
手術前ということからかあまり寝つきがよくなかった。ただ、そんなに眠くもなかった。
6:30:点眼開始
手術前に眼の洗浄を目的とした点眼開始(30分おき) ベガモックス0.5%
8:00:回診
教授をはじめとする医師による回診。
診察室で移植前の最後のチェック。
やはり、角膜に侵入している血管がきになるようです。
角膜に欠陥があると、血管が移植後の角膜を異質なものと判断して拒絶反応を起こしてしまうようです。
「まっ、それほど気にすることないよ。」と先生は言っていましたが、そりゃきにするって。。
8:26:筋肉注射
緊張を和らげるために筋肉注射を行いました。
私でも年齢は若い方のようなので、普通より多めのようです。
痛い痛いときかされていたので相当身構えていましたが、そこまで痛くなく終了。
ただ、背面から打たれるのでいつまで打たれるのかがわからず、不安はありましたが。。
注射を打たれると注射の効果で、意識が少しも朦朧としてきて、睡魔に襲われます。
自分一人で立つのは危険のようであります。
9:40過ぎ:お呼ばれ
朦朧とするなか、手術室からお呼びが。いよいよ手術です。
最後にトイレへ。
トイレ我慢すると眼の内部が飛び出ちゃうといわれると、しかっりとあますとことなく排尿をする必要がありますよね。
一滴残さず出しました。

9:50頃:手術室へ移動
妻と妻の姉に見送られ、手術室へ。
結構広いですね。
病室の看護師さんと手術室の看護師さんで患者の引き継ぎ処理していました。
名前や年齢、病状、あとはいつごろ注射を打ったとか。

10:00頃:いざ手術
手術台は、歯医者のような青い椅子に座って手術を行いました。
「トイレは大丈夫ですか?」
ここでもやはり聞かれました。
さっき済ませてきたんですが、そう言われるとトイレに行きたくなるのが人間ってやつですかね。
なんかトイレに行きたくなりましたが、さっき済ませたばかりなので、その旨伝えOKに。
座った瞬間に平行になり、
心拍を図る機械、血圧を測る機械が取り付けられいよいよ手術開始です。
まずは、右目の洗浄です。なんかジョウロみたいなので、2種類の薬で洗浄しました。
その後、点眼麻酔、眼球に注射をし、
左目にガーゼと眼帯が掛けられ、
手術をする右目に開眼器をあてられ強制的に眼が開けられるようになりました。
そして、眼球と瞼を何かでつないで動かないようにしてました。
縫ってたのかも。はさみみたいなのでパチンパチンと糸を切っている音が聞こえたから。
角膜を除去すると、いままで光をぼんやりと感じていたものが、
急に何も見えなくなったのを覚えています。
医師が、「この検体はホルマリンに入れておいて」といってたんで、
結構珍しい角膜だったんでしょうね。
その後新しい角膜が上にかぶさると急に明るくなり、
目の前で動くピンセットが見えるようになりました。
5年ぶりの光ってやつですね。
その後は、新しい角膜と眼球の縫合です。
痛みはないのですが、よーく考えると、
眼球って布などを縫うのとはちがって、向こう側に糸を出すわけではないんで、
眼球内を糸が通ってるってことですよね。なんだか不思議です。
先生も他の先生に、「僕の場合は、結構深いところまで縫ってるんだよね。」とか話してたんで、
これは先生次第なのかもしれませんね。
その前後だったと思いますが、
「島崎先生はここらへんまで29分位でおわらせるんだよ。すごいよね。」と
執刀医が周りの先生に話しかけていました。
後で調べてみたら多分この島崎先生ですね。
角膜移植のプロフェッショナルのようです。
東京医科歯科大市川総合病院
あと、先生が終始、基盤が緩いとかいっていました。
私の角膜がどうも柔らかいようです。
柔らかいからどうなのかはわかりませんが、あまり良くなさそうですね。
縫い終わると、開眼器を取り外しいよいよ終了です。
麻酔が効いているため、この時はまだ痛みは全くありませんでした。
意識がもうろうとしていて、立ち上がるのは困難なため、横付けされたベットに移動しての手術室を後にしました。
途中廊下で時計があったので、みてみたら11時20分をさしていたので、
手術前に言われた40分位よりは少し時間がかかったようですね。
11:30頃:病室へ
手術が終了して、手術室から病室へ戻ってきました。
その前に、車いす用のトイレでトイレを済ませました。
術中ずーっと点滴をしていたため、結構大量にでました。
我慢してたのかな。。。
その後、病室に戻る頃には、もう右目の麻酔が切れていてだいぶ痛みが出てきました。

たとえるなら、紙やすりで眼を削られているような痛みですかね。
擦り傷にしみるような痛み。。涙もとまりません。
横になってもずーっと痛むため、これでは流石に寝れないと思い。
痛みどめのロキソニンをもらい、大体30分位して効きだし、眠れました。
その後は、昼食・夕食をとりましたが、それ以外はほとんど眠りっぱなしでした。
朝起きたら痛みはそれほど強くないのですが、
眼球にある糸と上まぶたがすれるような軽い痛みがあります。
いよいよ角膜移植を受けます。
久しぶりの更新ですが、明日いよいよ角膜移植を受けます。
3日前、病院から
「移植用の角膜が入手できたので、3日後入院できますか?」
との電話がありました。
過去に何度か電話があったのですが、仕事の都合上キャンセルしていました。
そんなことを医療関係の弊社のお客様方にお話したところ、
「仕事より優先して移植をした方がいいんじゃない?」
とのアドバイスをいただいていたため、今回は二つ返事で移植を決意いたしました。
アカントアメーバを発症してからちょうど5年目の決断です。
片目の生活も慣れてきたのですが、次の自分に生まれ変わるちょうどよい機会なのかもしれません。
入院するのはあれ以来ですが、5年前とは明らかに心境がちがいますね。
5年前は、100%見えていた視界が急に失われて最悪失明といわれ、いつ治るとも分からぬ恐怖との戦いでした。
本当にあのときは、今を乗り越えるのが精いっぱいでした。
眼の痛みは激しく、アイスピックや先のとがったとんかちで頭を殴られているような痛み。
そして、当時の主治医からは、
「今は、眼球を残すことだけを考えるから。」
とてもショックでした。
主治医が治療に携わった数名は、治療の甲斐なく、眼球摘出を余儀なくされた方もいたという経験から出た言葉。
本当に思い言葉でした。
こんな能天気な私でも、マイナス思考となったのを覚えています。
改めて、あの時、
妻や親、兄弟、義理のご両親、義理の姉妹、会社のみんな、旧友、お客様、そして闘病仲間
に支えで乗り越えたなって、この5年間という月日で忘れかけていたものを思いだしてきました。
これも、感謝と言う言葉を思い出させてくれる神からのプレゼントかも。
そんなプレゼントと、今回は、ほぼゼロに近い視力が回復するかもという希望もありますしね。
お医者さんからの説明では、やはり手術ですので最悪の最悪失明のリスクもあるとの説明を受けましたが、こればっかりは運ですからね。
一流の技術を持つ先生を信じると共に、
なにより、
ご自身が亡くなられた時にご自身の一部を提供くださったドナーの方のご意思を無駄にしないためにも、なんとか手術を成功させたいと思います。
今回改めて、いろいろな方より励ましのお言葉をいただき本当にうれしく思っております。
是非、退院したら今まで以上に頑張っていきたいと思いますので、新生太田(明日誕生予定)をよろしくお願いいたします。
最後に、本日で最後となる右目の角膜の写真を載せておきます。

右目の角膜くん。
5年前はがんばってくれてありがとう。
そして、光を感じたその日から、いままでの35年間ありがとう!!
君と見た35年間の景色は、決してわすれません。
本当にありがとう!
3日前、病院から
「移植用の角膜が入手できたので、3日後入院できますか?」
との電話がありました。
過去に何度か電話があったのですが、仕事の都合上キャンセルしていました。
そんなことを医療関係の弊社のお客様方にお話したところ、
「仕事より優先して移植をした方がいいんじゃない?」
とのアドバイスをいただいていたため、今回は二つ返事で移植を決意いたしました。
アカントアメーバを発症してからちょうど5年目の決断です。
片目の生活も慣れてきたのですが、次の自分に生まれ変わるちょうどよい機会なのかもしれません。
入院するのはあれ以来ですが、5年前とは明らかに心境がちがいますね。
5年前は、100%見えていた視界が急に失われて最悪失明といわれ、いつ治るとも分からぬ恐怖との戦いでした。
本当にあのときは、今を乗り越えるのが精いっぱいでした。
眼の痛みは激しく、アイスピックや先のとがったとんかちで頭を殴られているような痛み。
そして、当時の主治医からは、
「今は、眼球を残すことだけを考えるから。」
とてもショックでした。
主治医が治療に携わった数名は、治療の甲斐なく、眼球摘出を余儀なくされた方もいたという経験から出た言葉。
本当に思い言葉でした。
こんな能天気な私でも、マイナス思考となったのを覚えています。
改めて、あの時、
妻や親、兄弟、義理のご両親、義理の姉妹、会社のみんな、旧友、お客様、そして闘病仲間
に支えで乗り越えたなって、この5年間という月日で忘れかけていたものを思いだしてきました。
これも、感謝と言う言葉を思い出させてくれる神からのプレゼントかも。
そんなプレゼントと、今回は、ほぼゼロに近い視力が回復するかもという希望もありますしね。
お医者さんからの説明では、やはり手術ですので最悪の最悪失明のリスクもあるとの説明を受けましたが、こればっかりは運ですからね。
一流の技術を持つ先生を信じると共に、
なにより、
ご自身が亡くなられた時にご自身の一部を提供くださったドナーの方のご意思を無駄にしないためにも、なんとか手術を成功させたいと思います。
今回改めて、いろいろな方より励ましのお言葉をいただき本当にうれしく思っております。
是非、退院したら今まで以上に頑張っていきたいと思いますので、新生太田(明日誕生予定)をよろしくお願いいたします。
最後に、本日で最後となる右目の角膜の写真を載せておきます。

右目の角膜くん。
5年前はがんばってくれてありがとう。
そして、光を感じたその日から、いままでの35年間ありがとう!!
君と見た35年間の景色は、決してわすれません。
本当にありがとう!
自衛隊の皆様ありがとう。
あまりテレビでは報道されていませんが、
twitter上では自衛隊の活躍ぶりが本当にささやかれている。
そんな自衛隊の皆様へのお礼とエールを送りたいと思いブログをアップしています。
吉田茂首相が防衛大学第1回卒業式で下記のような訓示を述べたようであります。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。」
吉田茂(昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
今、まさに、国民が困窮し国家が混乱に直面している時です。
吉田茂首相見ていますか?
日陰者であり続け、耐え続けた自衛隊が国民から感謝され、歓迎されています。
それよりもむしろ国民が本当に必要としております。
そして、twitter上ではこんなつぶやきも。
「自衛隊ってな、設立以来、殺害した人数より 救助した人数の方が多い武装集団なんだぜ」
「自衛隊で、原発事故の現場に、新たに投入される 自衛隊員たちは、定年間際で、すなわち55歳近い人たち。自分は、もう、子供も大きい。自分の部下たちを死なせるわけにはゆかない」と決意して、現地に向かいつつある。
戦争をするための軍隊ではなく、国民を守るための自衛隊。
そんな自衛隊を本当に心から誇りに思います。
こらからまだまだ大変かと思いますが、是非、被災者の皆様の力になってください。
本当にありがとうございます。


twitter上では自衛隊の活躍ぶりが本当にささやかれている。
そんな自衛隊の皆様へのお礼とエールを送りたいと思いブログをアップしています。
吉田茂首相が防衛大学第1回卒業式で下記のような訓示を述べたようであります。
「君達は自衛隊在職中、決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。御苦労だと思う。
しかし、自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、
国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、君達が日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。
どうか、耐えてもらいたい。」
吉田茂(昭和32年2月、防衛大学第1回卒業式にて)
今、まさに、国民が困窮し国家が混乱に直面している時です。
吉田茂首相見ていますか?
日陰者であり続け、耐え続けた自衛隊が国民から感謝され、歓迎されています。
それよりもむしろ国民が本当に必要としております。
そして、twitter上ではこんなつぶやきも。
「自衛隊ってな、設立以来、殺害した人数より 救助した人数の方が多い武装集団なんだぜ」
「自衛隊で、原発事故の現場に、新たに投入される 自衛隊員たちは、定年間際で、すなわち55歳近い人たち。自分は、もう、子供も大きい。自分の部下たちを死なせるわけにはゆかない」と決意して、現地に向かいつつある。
戦争をするための軍隊ではなく、国民を守るための自衛隊。
そんな自衛隊を本当に心から誇りに思います。
こらからまだまだ大変かと思いますが、是非、被災者の皆様の力になってください。
本当にありがとうございます。






