アザンクールの戦いでフランス軍に勝利したイングランド軍は、ロワール河沿岸の町を次々と攻略していった。
オルレアン上流のジアン、シャトーヌッフ・シュル・ロワール、シュリー・シュル・ロワール、ジャルジョー、下流のボージャンシーなどと、オルレアン包囲網を固めていった。
オルレアン公はアザンクールでイングランド軍の捕虜となっていた。
中世の騎士道のしきたりでは、領主が敵の捕虜となった街は攻略してはならないことになっていた。
イングランド軍はなので街の城壁の外に陣を張って攻め落とす戦略だった。
オルレアンの住民は食料の調達に苦しまねばならなかった。
ジャンヌダルクは最初のうちはロワールの上流からイングランド軍の防御が薄い東側から船で食料を運び込む支援をしていた。
オルレアン公の異母弟デユノワがオルレアンをめぐるイングランド軍との攻防戦の指揮をとっていた。
オルレアンの街は現在でも、ロワール河を挟み北(右岸)と南(左岸)に分かれており、サンタントワンヌ島と呼ばれる中州を利用して南北を繋ぐ橋が架かっていた。
この橋の南端にトウーレル(Les Tourelles )砦と呼ばれる小さな塔のある守衛詰所をイングランド軍が守備していた。この砦と南の街とは跳ね橋で繋がっていた。
ジャンヌダルクの勇気はこの砦の攻略で発揮されることになる。