どうして田舎なのか? | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

o-tommy さんに頂いたコメントに触発されて以下のような
文を書きました。コメ返しとして投稿します。


畑 和彦の述懐

私は生まれは東京都新宿区だが、4歳と5歳の2年間を兵庫県の但馬、養父市の近くの八鹿という村のそのまた外れの九鹿という小集落の家で母方の祖母と二人きりで暮らした。八鹿は現在、養父市に統合合併されています。

 

 

 

昨日投稿した挿絵は八鹿で暮らした2年間のある夜に見た超現実的な光景を思い出して描いたものです。

 

あの時の光景は何だったんだろう? 記憶が誇張されて挿絵のような光景だったと思いこんでるだけなんじゃないか?自分でも疑わしくなった。そこで数年前ネットで八鹿で暮らした年とその周辺の地域をタグにして何か事件がなかったか調べてみた。すると思いがけなく福井大地震があったことがわかった。ちょうど私があの夜超現実的な光景を見た年に起こっているのだ。大地震が起こると大気中に微粒子が充満し、遠くの太陽光線を反射して夜中でも昼間のように明るくなる現象が起こることがあるという記述も見つけた。

 

するとあの真夜中に真昼のように明るく照らし出された田園の光景は大地震が引き起こした天然現象だった、ということが言える。それからというもの私はあの時の光景を幼児だった私が自分の眼で確かに見た異常な光景の記憶として大切に維持してゆかねばと思うようになった。

5歳になって新宿の両親の家に戻った。幼稚園に入り同じ年頃の男女の子供達といろんな遊びをして過ごした。しかし私の心のどこかには、常に自分がそこに居るという確かな感覚が無くていつもどこか他にいるような感覚、その場に一緒に居る子供たちとしっくり打ち解けないような、ありふれた言葉で言えば一抹の寂しさを感じていた。

大きくなってそれが他所へ行きたい、旅に出たい、外国へ行きたいという思いとなって現れたのだが、西行の流浪の生活、芭蕉の「…漂泊のおもひやまず」と結びついていると気付いた。

環境不適合。いつも、ここに自分は居るべきではないという居心地の悪さを感じていた。

その、しっくり打ち解けない感覚は、も少し大人になり思春期に自我に目覚める頃になってもなお私の心から立ち去らなかった。立ち去るどころかもっと強く、泣きたくなるような寂しさとして私を襲うようになった。それはなんでだったのだろう? も少し掘り下げて考えてみよう。

私が子供の頃の東京には田舎が、自然がまだあった。
土に草が生え、トンボやセミが棲む田舎。緑が豊富で土が露出した自然が壊され姿を消し、コンクリートのビルが次つぎと建ち、高速道路が視界を遮りはじめ東京はみるみる変貌していった。

私はそれを悲しいと感じ、人間の経済活動を、ひいては人間の営みのすべてを、ひどく悲しいものとして受け止めはじめていたのだった。

高層ビルがつぎつぎと立ち並んで行く東京。こんなのは私の故郷じゃない。私の故郷は但馬の八鹿という田舎だ。

 

 

 

 

春には小川の土手にツクシが生え、蕗の薹が顔を出し、ヨモギ餅も作れたし、篠竹の枝で笛や鉄砲が作れるような……
「うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川……」あの歌に思い浮かべるようなそんな田舎です。

 

   照れ