和彦の想い出 長編第二部の草稿 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

さてアキレス自動車と提携が決まった日本の大手自動車会社というと、その前身は日本産業といって満洲開発のために作られた国策会社だった。両者に共通性があると思うのは、アキレスが第二次大戦後対独協力の罰として国営化され、一方の日本産業(略して日産)ははなから国策会社だったってこと。民営と違って国営ってことは社員も経営者もどうしても官僚的、というか困ったときは国がなんとかしてくれる、って親方日の丸、フランスじゃあ親方三色旗になるよね。予算や経営が杜撰になりがちってことだ。

まあ、日本の読者の方は日産については私よりずっとご存じだろうし、調べようと思えばいくらでも情報は手に入る。私は満洲って言葉が出てくるとどうしても思わずにいられない思春期の思い出があるのでそのことを書いて置く方が意味があると思う。

畑和彦の思春期の想い出

 

田川君は私の小学校時代からの級友で、いつも女の子とゴム縄をして遊び、女言葉を使う。小学校の級友たちは心の中で「女男」など思いながら、堂々としたところのある田川君に一目置いていた。大きくなってからも内股に歩き「女おとこ」のようすは変わらなかった。でも、田川君は玉三郎みたいに若くて妖艶な女形じゃなくて、花柳章太郎みたいな年増の女形の貫禄をすでに小学生の頃から漂わせていた。女の子たちとゴム跳びをする時も、周囲の視線を浴びて助走に移る前に敢然と佇む姿は子供たちを圧倒する力を湛えていた。その田川君が高校へ入ってからフランス語を始めて、私も一緒にやらないかと誘いかけて来たのである。生徒が4・5人しかいなくて先生から親密で丁寧な指導を受けることが出来る、とってもいいわよ。そういいながら田川君は分厚い口を突きだしたり横に広げたりしながらフランス語の文を声を出して暗誦したのだった。
「Le bon sens est la chose du monde la mieux partagee 」
私はなんのことかさっぱり分からず、きょとんとした目で田川君の分厚い唇を見つめていたのだが、「良識とはこの世でもっとも公平に分配されているって、デカルトが方法序説で書いた言葉よ」。そういった田川君の眼に、子供の頃はなかった冷たい光を私は認めた。
「ふ~ん、ずい分哲学的なことを勉強してんだね」
私が悔しさも伴って皮肉を込めたつもりで言うと田川君は勢いこんで言いかえすのだった。
「なんか学問研究やるんだったら、デカルトについて知っとかなきゃダメでしょ。唯物論か、唯心論か? の判断をするためにも近代合理主義の生みの親のデカルトを読んどかなきゃダメよ。それも、できるだけフランス語の原語でね。そういう意味で、キミも今から第二外国語でフランス語をやっとくといいと思うわ」

しばらく会ってなかった田川君と昼休みに話してみたいとに近づくと、彼のほうでもその気があったらしく、「話さない?」と誘ってきた。
「どこがいいかしら?」田川君は教室じゃなくほかの場所で話したいらしかった。
「お天気もいいことだし、屋上へ行ってみようか」
田川君はいいねと同意し、私たちは教室を出た。廊下を歩いていて、ふたりとも弁当を持って来てないことに気づき、校舎の入り口に昼休みだけ屋台を出すパン屋へ寄って、カレーパンを買った。
図書室の上にある屋上へ出るには校長室の脇にあるラセン階段を登ればいいのだが、ほとんどの生徒が階段の存在を知らないのだった。階段は細い鉄の手すりがついた人ひとりがやっと登れるだけで頼りない感じがする。突き当りの扉をあけると、人影のないがらんとした屋上に照りつけていた初夏の陽光がまばゆく眼を打った。微風が半袖開襟シャツの胸元に忍び込んで気持ちがよかった。空は抜けるように青かったが、遠くの新宿の上空は不透明でうっすらと靄がかかったようだった。
「やあ、スモッグがかかってる」
私たちは手摺にもたれてカレーパンを齧った。

「こないだ、理由なき反抗って映画観た」
私がそう言うと、田川君は上目遣いで私を見、口の端に縦皺を刻んで笑った。口の端に皺を刻む笑い方はジェームス・デイーンにそっくりだった。
「ジェームス・デイーンね。下着なんか部屋に散らかしっぱなしなんだってよ」
田川君は大学へ行ったら言語学をやると既に決めている学究なのだが、楽しみに小説や映画雑誌を見たりもする映画通なのだった。
「ジェームス・デイーンの親ってクエーカー教徒なんだってね」
田川君は紙袋から頭だけ出したカレーパンを齧りながら私を見て言った。
「クエーカー教徒って?」
私は正直に何も知らないことを田川君に言って教えを請うた。
「戦争と人殺しを拒否する絶対平和主義者のことよ。プロテスタントの一派。ほら、真昼の決闘ってゲーリー・クーパー主演の映画あったでしょ。見た?」
私はその映画を見てなかったので首を横に振った。
「ゲーリー・クーパーが引退する保安官を演じてる。保安官は、昔監獄にぶちこんだ悪漢が町に戻って来て手下も加えて四人とたったひとりで対決するの。保安官の花嫁がグレース・ケリーが演じてるんだけどクエーカー教徒なのよ。決闘で殺人をおかす夫とわたしは運命をともにできないって、信仰を理由に新婚そうそうの夫を残して汽車で去ろうとする。でも、最初の銃声を聞いたとたん、花嫁は、いたたまれずに汽車を飛び降り、夫が撃ち合いをしてる町へ駆けつけるの。そして夫が背後から狙われて命が危ないのを見て、銃で悪を撃ってしまうんだわ」
「ふうん。絶対平和が信条でも、いざとなるとやっぱり武力に訴えちゃうのか……。平和憲法をもってるどっかの国みたいだ」
「憲法第九条を日本に提唱したGHQにはクエーカー教徒がいたかもしれないわね」
手摺に片手を掛けて開襟シャツの胸に風をいれ田川君は気持ち良さそうに眼を細め、冗談とも本気ともとれる笑いを浮かべて言った。

「田川君」
こないだ図書室で見た本のことを思い出し、私は田川君が知らないことを持ち出して仕返しをしてやろうと呼びかけた。
「知ってる……? ぼくらの高校があるこの場所は戦時中、陸軍が歩兵を鍛える学校だったってこと。この校庭は陸軍士官学校の乗馬の教練所だったんだ。甘粕大尉や東条英機はぼくらの大先輩なんだよ。とくに東条英機はぼくらの高校の前身の旧制尋常中学の出身だから大先輩なのさ。ぼくらが毎日座ってる校舎は騎兵隊の厩舎だったんだって」

 

 

 

 

「ふうん。今の校舎が厩舎だったって話は聞いたことがあるけど、東条英機と甘粕大尉がね……」
「甘粕大尉な……関東大震災のどさくさを利用してアナーキズムの大物だった大杉栄を捕まえて拷問で殺した男。満州事変の陰謀を画策したり、清朝最後の皇帝溥儀を引率して満洲に連れ出したのも彼だ。満映の理事長になって最後は青酸カリで服毒自殺してしまった」
「映画雑誌で読んだけど満映は東映の前身なんだってね。甘粕は世間が信じてるほど冷酷じゃないそうよ。子供が好きで、7歳の男の子を殺すなんて甘粕がやるはずがないってよ。憲兵隊上層部と軍の思想弾圧の陰謀の罪を甘粕ひとりが被ったんじゃないかって説もあるわ。満映には左翼崩れなんかも流れていったというから甘粕は右も左も抱え込む包容力があったのよ」
「ふうん。大杉虐殺が表ざたになったのは一緒に殺された伊藤野枝と7歳の子供がアメリカ人との混血だったからと言われてる。それで国際世論が軍法会議を開かせたってわけ。甘粕は柔道の締めワザで大杉を殺したと証言したけど、葬儀の時の棺桶からは血が流れていた。証言には実際と食い違うところがいくつもある。甘粕にはなんだか殺された大杉みたいなところもあったんだ」
「大杉で興味があるのは吃音症だったでしょ。あたしもドモリだったから」
「小学校の頃よくどもってたよね。すっかり治ったのは専門家に治してもらったの?」
「そりゃ一生懸命治そうと思ってがんばったわよ。あたしが治ったのは言葉は感情と関係ない、記号にすぎないって、ある時悟ってからなの。気持ちを伝えるんじゃなくて、記号を口で音に変えればいいんだって。それからはどもらなくなったわ」
「言語学に興味を持ったのはそのためなんだね」
「言葉の専門家になってやろうと思って。フランス語のつぎにはロシア語をやるわ。ドイツ語はもちろん韓国語も中国語もやる」
私にはまだ言葉が記号だなんて割り切ることができない。感情を伝える役目の方が大事に思える。でも、こういう田川君を私は正直凄いと思った。
校庭の奥の方で昼休みも惜しんで練習してる運動部員がいて、野球部員のよく通る声とラグビー部員の吠える声が屋上まで聞こえて来た。
「あいつら、教室の奥でいつも固まって猥談やらスカトロジックな話を大声でやってるだろ。あいつらの傍若無人ぶりにたまらなく怒りを覚えるんだ。ボク……」
「かれらは肉体的に成長が早いのよ。性的にも早熟だわ。あたしたちはわりと晩生(オクテ)じゃない。怒りや差別意識って劣等感からくると思うんだ」
「あいつらにはもう権力意識が巣食ってるよね。ボク、いまの受験制度って、軍国主義の時代の肉体と精神を鍛えて国のために尽くす軍人を養成する制度と変わりないって思うんだ。そうした体制にいままで順応して優等生面して乗っかって来たボク自身に自己嫌悪を覚えるよ。あいつらに、自己嫌悪とか受験制度への懐疑とか、そんな様子これっぽっちも見えないだろ」
「受験制度は確かに欠陥があるけど、なにも自己嫌悪抱くことはないわよ。受験制度を勉強をおろそかにする理由にするのは怠惰の口実よ。学問・研究をするためにはいい教授が揃った大学へ行った方がいいし、そこは自然競争が激しくなるわよ。受験勉強って、なにも強制されて勉強するんじゃなくて、将来の学問・研究の基礎になるんだって考えれば、自然にやる気も出てくるんじゃないのかな。自己嫌悪なんて、捨てなさいよ」
「去年のアンポのとき、ボクはじめて考えた。日本の権力ってコトをね。ボクはまだよく知らないので、ただ漠然となにか黒いモノを感じたんだ。それは、ボクらが生まれた年まで日本の運命を牛耳ってた軍国主義の権力ってモノと無関係じゃない。ボクらが毎日勉強してるこの細長いウナギの寝床の
校舎や、目の前のこの校庭で、つい15年前まで乗馬や歩兵の訓練をやってたんだからね……。そこに甘粕正彦や東条英機がいたなんて思うとね。甘粕は乗馬訓練中落馬して馬の下敷きになり足を骨折し、希望してた陸軍に行けなくなったんだ。暗い気持ちになってたところを東条英機に憲兵隊へ行けとアドバイスを受けて、それで嫌だった憲兵隊へ行ったのさ……」
「ふうん……。もともと憲兵隊が好きで行ったわけじゃないのね。それにしても、他人の罪を被るなんて、たいへんだわ。とっても辛いことじゃないかって思う」
田川君は少し悲しい目付きをして鉄の柵に胸を凭せ掛け細長い校舎の屋根とその下の広い校庭を眺め渡した。遠くで挙げる練習の声が校庭に木魂していた。僕も田川君と並んで校庭を眺めた。初夏の微風がまた開襟シャツの首や袖口から入り込んで少しは気持ちが爽やかになった。

 

 

  (つづく)