太陽王ルイ14世がまだ幼子だった頃に起こった
フロンドの乱
ことの起こりは現在フランス全土を揺るがせている
ジレジョーヌ(黄色いベスト)運動と同じく
税金問題だったんですね。
枢機卿マザランがスペインとの戦争を継続するため
戦費を町人(ブルジョワ・商人)に課した。
これに反発した
パリの商人たちがバリケードを築いて抵抗し
パリ高等法院の議員さんも
マザランに反抗した。
そこに登場するのが大コンデ公です。
王位継承権では2番目の地位にある王子様。
王子様ながら勇猛果敢
だれからも称賛される武人なんですね。
模範的な司令官で
ひとたび戦場へ出れば
乗った馬を駆り立てて
敵陣へたった独りで突撃
部下の兵士を鼓舞して
次々と戦果を挙げたのでした。
甲冑姿の大コンデ公の肖像↑
ちょうど前回の記事にある
フランドル、北ブルゴーニュ
ネザーランド地方で続いていた
7年戦争のさ中のことでした。
幼き国王ルイとマザランは
パリで起こったフロンドの乱を
鎮圧させるため
大コンデ公を呼び戻し
鎮圧軍の総指揮を命じます。
フロンド派の反乱軍指揮者はというと
なんと大コンデ公の弟
コンチ公なんですね。
コンチ公はおよそ戦闘とは無縁で軟派の文人
連戦練磨の大コンデ公にとってみれば
赤子の首をひねるみたいなもの。
反乱をたやすく鎮圧してしまったのでした。
そこまでが
フォロンドの乱、第一幕。
人気も高い大コンデ公に
権力を奪われるのではと
怖れたマザランは
大コンデと弟のコンチ公
それにロングヴィル公の
3人を逮捕させ、ル・アーヴルの
監獄に閉じ込めてしまったのでした。
そこまでが2年前に投稿した
以下の記事の前置きです。
そして出獄した大コンデ公は
こんどはフロンドの乱
反乱軍の総指揮者となって
マザランと幼き国王
ルイ14世を
さんざんに苦しめるのでした。
出獄には大勢の人の活躍がありました。
以下はリブログ記事にて ↓
