下にリブログした「三島の死について」を書いた4年前の時点では、めのおはまだ兵庫県養父市を 訪ねていなかったのですが、2016年4月の5日に姫路に寄り、満開の桜に囲まれた姫路城を愛でた後、播但線で八鹿まで行き、70年を隔てて記憶に幽かに残っていた懐かしの「心のふるさと」を訪ねることができたのでした。
4月6日の午後遅くに着き、養父市の川辺さん宅に泊めて頂いたのでした。翌7日は生憎の雨で自転車を借りてずぶぬれになりながら市役所を訪ね、母方の戸籍謄本を曽祖父の祖父まで遡って写しを貰うことが出来ました。
雨のため、また土地勘がまったくなかったため、さらに兄の入院を見舞うため翌朝早くに発たねばならず、めのおが4歳と5歳の2年間を祖母と二人きりで暮らした「九鹿」という八鹿の村外れの家があった場所を探し当てることは出来ませんでしたが、田舎道を自転車で走りながら、想ったのは三島が父親と一緒に命懸けで走ったのはこのあたりの道だったかということでした。

