「絵」について考えること | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

電子小説の表紙絵を描く必要に迫られてるので絵について考えてます。

下の二枚の絵。どちらも自作の電子小説の表紙絵として準備したもの。

 

臙脂をバックにした女性の絵は「アンナへの贈物」のために「お絵かきパッドとソフト」を使い、拙くてお恥ずかしいけどめのおが自分で描いたものです↓
 

 

 


こちらの着物を着た女性の絵はブログ友達リラさんの感性がとても気に入ったので「れくいえむ」の表紙絵に無理をお願いして僅かだけど御礼も払って描いてもらったものなんです↓

 

 

 

最初は iBook と Kindle に、次にパブーで値段を付けて出版しましたが、閲覧数だけは千を超えても売れたのは5本の指に入り切る数。つまり友達が買ってくれただけってありさまです。

表紙絵をもっと工夫しなけりゃ。それとリリースのタイミングを考えろよ。テキストも長すぎるんじゃ読んでもらえないし、自分の言いたいこと、人様が関心を抱いてくれることを練り直して書かないとダメだね。と、またもや振り出しに戻ったところです。

それで、絵についてですが。「アンナ」の絵は油絵風で、面の塗りに重点を置いてます。これに対し「れくいえむ」は「線」と「面」の薄い塗りの美しさに魅力があり、着物の女性の表情もめのおの亡くなった母親を想わせるものでとても満足してるのです。

コンピューターを使った画像(映像)はますます増えるでしょう。一昔前になりますが映画でも「タイタニック」とか「AVATAR」なんかはコンピューターを大掛かりに駆使して製作されたと聞いてます。

日本の優れたアニメ。「スタジオ・ジブリ」制作の数々の傑作も画像(映像)が直接観る人の感性に訴えることが出来るので評判が高まったんだと思います。

若い頃めのおは核戦争恐怖症でしたから、絵の道へ進みたいと希望を持ちながら、「絵画じゃ核戦争を無くすことはできない。ひとたび核が落されれば絵なんてあっという間もなく消えてしまう。言葉を使って核廃棄を訴えなければ」と思い、絵は趣味として持ち、文を書く訓練をしました。

しかし文章は言葉を使って書くものだし、駆使できる言葉は母国語に限られている。

日本へ帰還しようとして試みたプロジェクトは土壇場で放棄せざるを得なくなったので、またもやフランスに居住しながらテキストとイメージを使って表現していく必要に迫られています。

さて、4年前のクリスマスに「線画」について考えました。日本の伝統絵画には「線」で描いた絵に傑作が多いんじゃないか。藤田嗣治が「線」を駆使して世界的成功を収めたことにも注目しました。むろん Foujita の絵は線だけじゃなくて、面を塗るために発明した独自の「偉大なる白」( le Grand fond blanc )、女性の肌を感じさせる触感的な乳白色と薄塗りの衣服や背景とが見事にマッチングしたところにあると思います。

 

 

 

 

 

4年前のこの頃、日本に入院した家族の見舞いや他界した家族の葬儀もあってなんども行き来していたのでしたが、日本画につき知りたくなって岡倉天心の書いた文や九十九里浜の六角堂など天心ゆかりの地へ千葉さんに連れてってもらったりしました。時間がとれたその日は美術館は休館で「線を無くして面で描こう」とした日本画グループ、横山大観などの作品は観られませんでした。

奥村土牛、平山郁夫、東山魁夷さんらの絵は線よりも面の塗りに重点を置いた画法ですよね。

その後、日本画は自由な発展を見て、絵の具も岩絵の具だけじゃなく、油絵を感じさせる素材を使ったり洋画、日本画の区別がなくなってしまってます。昭和戦前生まれの日本画家、加山又造さんの絵はすごいと思う。

 

「絵」は稀に曲面とかあるけれど原則平面に描くので、二次元の制約から抜け出ることはできないよね。平面に描いて立体感を持たせる、三次元を思わせるよう努力する。そのことに力を入れ過ぎると「トロンプイユ」だまし絵になっちゃって芸術性が無くなる。

「線画」という技法は初めから三次元を想わせようとするウソを排除して線だけに存在感を託した究極の技法なんだと思う。

絵画とは要は平面という二次元の限られた世界で存在の美、存在の真実を表現する芸術なんだと思う。要は線中心であれ面中心であれ表現したいモチーフにもっとも適った技法で描かれれば良い作品となるのだと思う。

 

「線」について藤田嗣治が書いた文があります。4年前にこのブログに引用しましたが再度 ↓

「法隆寺の壁画や、高野山の赤不動などは立体的で手強く、線の蘊奥を極めている。また鳥羽僧正の絵も線の妙味を尽くしてある。けだし、かうした名画には線に少しの無駄がなく出来上っていてみんな生きている。


 

 

戯画
 
 
古来から東洋画の線は最も独特であり、東洋美術の一特性を極端に発達させた、真に日本画の誇りである。がしかし、物体の外郭を線と思っているような人達には、決して内容の充実した厚みのある強い線は引けない。僕の希望は絵を描く前に、物体と自分と一人になって――直感で描いてゆく。つまり訂正したり、思考したりした線ではなく、直感から生まれた線の方が的確にして無限に深い。   中略   ところが、中には線とは物体の輪郭を描けばよいと思っている画家がある。線とは、単に外郭を云ふのではなく、物体の核心から探究されるべきものである。美術家は物体を深く凝視し、的確の線を捉えなければならない。そのことが分るようになるには、美の神髄を極めるだけの鍛錬を必要とする。」

以上は、藤田嗣治が著わし昭和17年2月25日に発刊された「地を泳ぐ」に出て来る言葉です。(175~176頁)
 

 
デッサン
 
 
ついでに、上の藤田の文を引いた弊ブログ記事「再び線について」を読んでみようという方のためにリンクを貼ります。→ https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=11968707355

 

 

今年もいろいろとありがとうございました。 良い大晦日とお正月をお迎えください。

 

            照れ