8日(日曜)に近所のトレニTreigny 村でブロッカントがあるというので、お昼を早めに済ませ観に行きました。トレニ村は貯水池の向う側、低い丘の上にあります。この村外れにはラテイイのお城もあります。
「アンナへの贈物」でこのシャトーで夏に開かれた水彩画教室のことと、周囲の風景を次のように書きました。
「ラティイの城は、パリの南方約二百キロの森の中にある。一帯はピュイゼと呼ばれている。雑木林と牧草地に覆われた、なだらかな丘陵地帯で、セーヌの支流ロワンの水源地になっている。ワインで有名なブルゴーニュ地方を構成する四つの県のひとつ、ヨンヌ県の南端に位置する。県庁のあるオーセールは中世からの街で、その南にはマグダラのマリアを祀る大聖堂で有名なヴェズレイの丘がある。聖堂の裏の見晴らし台に立つとモルヴァンの丘陵の素晴らしい眺望が視野一面に広がる。 晩年をヴェズレイで暮し、そこで没したロマン・ロランはその眺めを『永遠の丘』と呼んで愛した。
ラティイの城は僧独りが住む廃墟だったのを、陶芸家が散歩中見つけて買い取り、陶芸を初め現代アートの拠点とした。農家が散在する、くねくねと曲がる田舎道は雑木林を縫って走り、林の切れ目から、牧場と畑を乗せた丘陵が夏の陽に照らされ、パノラマとなって現れる。その調和を帯びたパステルカラーの色合いが、目に快く美しい。ツタが絡んだ崩れた石壁の門をくぐると、城が見える。城壁は鉄分を含んだ赤茶けた石で築かれている。正面入口まで百メートルほどの小道がある。左が生垣で右に石塀が続き、石塀の向こうの果樹園には実をたわわに付けたリンゴの古木が枝を 広げている。」
昼休み時なので人出もすくなくのんびりスタンドを見て回りました。
最初のスタンドで真鍮の物入れと小さな水差しをカミサンが見つけて買いました。
めのおはもっぱら古本探し。3つに1つくらいのスタンドに古本が並べてありました。
電子書籍の普及で紙の本が不要になった徴しか、それとも紙の本が見直され始めたってことか?
10年前に家を探したときに、不動産屋の若い婦人が最初に連れてってくれたのがこの村でした。
「ここは若いアーチストがたくさん住んでる村です。主に陶芸家が多いです。」とコメントしてくれたが、その時は、両側に並ぶ家があまりに素朴で辺鄙過ぎて見え、住みたいとは思わなかった。今なら、ここの方が景色も良く日当たりが好いので、手頃な家が見つかったら移り住むかもしれない。
教会の裏には小さな女子修道院があり、今は陶芸センターになっています↑
陶芸家の仲間に生まれた赤ちゃんの今日は洗礼式の集まりらしい。
教会の反対側の村の外れは遠くの丘に連なり黄色い麦畑が収穫を待っています。
トレニから10kmほどのサンタマン村に移動しました。
サンタマン(Saint-Amand en Puisay)には古い登り窯が残っていて、今ではその窯は使われてませんが、ここで焼かれる植木鉢はグレ(炻器)で硬く寒い冬でもひび割れしないので愛用しています。
小振りの鉢を三つ買いました。
昨日(9日)は、午後ヴェルサイユで上下院の国会議員全員(約800人)を招集しコングレが開かれました。マクロン大統領が最近とみに支持率が落ちた(約30%までも)こともあり、就任時の公約でもあったので、現政権への理解を得る為に演説をしたのです。
「自分からはよく語るが聴くことが少ない」とか「金持ち向けの政策だ」とか批判が高まってるからです。
昼食会に各党派代表を招待しましたが、極左のメランション代表と共産党はボイコット、メランション氏率いるフランス・アンスミーズは演説の公聴もボイコット。共産党は演説は聴くだけ聴きに議事堂に入りました。
フランス・アンスミーズは議事堂脇の「ジュドウポーム」で抗議の集会を開きました。
「ジュドウポーム」は大革命に至る途上で革命派が国民公会(今の国会)と憲法制定を目指して闘う誓いを立てた象徴的な場所です。
名前の由来はスポーツ競技場だったのです。ポーム(掌)で球を打つ、テニスとかバレーボールに近い競技です。フランスの北、かつてのブルゴーニュとフランドルの境界線だったあたりで青年たちがネットを挟み、手の平で球を打って遊んでいるのを見たことがあります。
この日のマクロン大統領の演説に関しては後日また投稿したいと思います。
今日はいよいよW杯準決勝第1戦フランス/ベルギーです。樋の詰まりを吸い取るために掃除機用の長いホース(15m)を注文し、そのデリバリーがある筈です。試合が始まるまでに片付けておきたいです。











