フランスの秋 | 雷神トールのブログ

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「夏の明るさ、華やかさに引変へて、秋が如何に悲しく如何に淋しいか。そしてその悲しさ淋しさは心の底深く感ずると云ふよりは、寧ろ生きて居る肉の上にしみじみと譬えば手で触って見る事が出来るやうな気がするのである。フランスの詩や音楽がドイツのものとは根本的に相違するのも乃ち此処であらう。ミュッセを産んだフランスにゲーテは現れず、ベルリオを生んだフランスにワグネルは出ない。北欧の森の暗さは神秘を語るであらうが、然し南の方(かた)優しいフランスの自然が齎す悲哀の中(うち)には云ひがたい美が含まれて居るので、人は其の悲哀によって何物かを思ひ何物かを悟ると云ふよりは、直ちに悲哀と云ふ其の美に酔うて恍惚として了(しま)ふのである。」

これは永井荷風が明治40年11月にリヨンにて「秋のちまた」と題して書いた短文の冒頭にある一節です。「秋のちまた」は「ふらんす物語」に収められています。

めのおは思春期の秋、まだフランスへ行こうなどと考えてもみなかった頃、すでに「悲哀と云ふ其の美に酔うて恍惚として了(しま)ふ」といった状態を経験していたのかと、この一文を眼にして驚いたのでした。

 

 

永井荷風の年譜を調べてみました。渡米したのが明治36(1903)年24歳の時で、9月22日に信濃丸で横浜を出航、10月タコマに着きそこのハイスクールに通学しました。

翌年10月にはタコマを去ってセントルイスに移り、さらに11月にはミシガン州カラマズに移り、英文学とフランス語を学びました。

明治38(1905)年26歳、6月にカラマズを去り30日にニューヨークに入ります。7月アメリカの生活が詩情を喜ばせる点に欠けているのを嘆じて、フランスに行きその文学を研究しようと決心。従兄永井松三(号・素川)に相談。松三の紹介でワシントンの日本公使館に小使いとして住み込む。しかし荷風の父は渡仏に反対でした。9月ポトマック公園でイデスと知り合い以後急速に交情を深め耽溺生活に入ります。このため10月末には公使館を解雇されてしまいます。父の配慮で正金銀行ニューヨーク支店に勤め始めます。

荷風がニューヨークを去りフランスに着いたのは明治40(1907)年7月のことで28歳でした。7月18日ブルターニュ号でフランスへ向かい28日パリに着き、30日リヨンに移り同市の正金銀行支店職員となりました。

翌明治41(1908)年に3月、銀行の仕事たえがたく、ついに正金銀行を辞し、パリに行きます。パリで上田敏と会いました。5月28日にはパリを去りロンドンに着き、30日讃岐丸にて帰国の途に上り、7月帰国し、大久保余丁町の来青閣に入ります。

こうしてみると、荷風がリヨンに正金銀行支店職員として滞在した期間は8月から翌年3月までの8か月間。パリには約2か月間だけだったことがわかります。むろん、文学作品の質と滞在期間の長さとが直接関係あるわけではないでしょうが、「あめりか物語」「ふらんす物語」を書いたくらいだから数年は滞在したものとばかり思い込んでいたので、こんな短期間だったと発見し驚きました。明治の頃は政府高官か銀行役員でもないかぎり外国に長期間滞在することは滞在費などもあり一般の市民には難しかったに相違ありません。

フランスのリヨンという町は絹織物が盛んな街で日本から絹糸を輸入しここで織物に加工していました。絹糸の輸出入業務にはLCとか銀行の信用状など取引の関係で明治の初期から正金銀行が支店を置いていたのだろう、と推察します。

繰り返して確認すると、荷風がフランスの秋を味わうことができたのは明治40(1907)年7月30日から翌年3月までの夏から秋、冬にかけてのわずか8か月、一回きりのことでした。

 

リヨンの秋と冬をめのおは経験したことがないのですが、遠藤周作さんはリヨンに、ずっと長い期間留学していたので、リヨンの冬がどんなものかをあちこちに書かれたものを読むと、ローヌ河にかかる霧で覆われたリヨンの冬がどんなに憂鬱に満ちたものか想像することはできます。

 

 

この文の出だしに戻りますとめのおが思春期に公園の小山で味わっていたのは決して「悲哀と云ふ其の美に酔うて恍惚と」していたのではなくてむしろ中学まで遊び友達だった同級生と別れ、生まれ育った新宿の町がオリンピックや高度経済成長でそこらじゅうで建機が音をたて急速に変貌してゆくこと、つまり移ろいゆく交友関係と環境の変化に対して悲哀を感じていたんだ、と今かえりみて思っています。

パリの秋といえば、リュクサンブール公園やモンソー公園、パリからフォンテンヌブローに移ってからは広大な森の秋を存分に味わいました。

秋から冬にかけての「冷え込み方」が日本とはずいぶん違う、ということは荷風がここに書いてる通りだと思います。それにパリという石でできた街並みと街路樹が醸し出す詩情というのが確かにあると思います。それはヴェルレーヌやボードレールによって詠われ、シャンソンに唄われて世界の人々にある情感を喚起しました。

上に引用した荷風の文の「生きて居る肉の上にしみじみと譬えば手で触って見る事が出来るやうな気がする」という表現は言い得て妙だと感じます。

ですが、パリまたはリヨンの秋に感じる詩情がそのまま田舎の田園生活にも通じるか? といいますと、だいぶ違うな、と正直感じているのです。

 

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