先週の木曜(21日)は、1週間ぶりの晴れ、それもインデアンサマーのような日和なのでフォンテンヌブローの町へ行ったついでに久しぶりに森の中へ足を踏み入れました。
サンファルジョー周辺の森と違ってやっぱりフォンテンヌブローの森は気持ちがいいです。
ここを離れたのは間違いだった、と悔恨の念が頭を擡げます。やっぱりここへ戻って来よう。家は小さくてもいい。森が庭みたいなもんだから。いや小さくなけりゃ暖房、その他経費が掛かり過ぎて暮らして行けない。見かけはみすぼらしくても防寒が利いた家を探そう。そんな思いを噛みしめながら森の小径を歩きました。
フォンテンヌブローの森が気持ちがいいのは地面が砂地でいつもさらっと乾いているからなんです。ここは太古には海の底だったんですね。
それに樹木も手入れが行き届いて形が好いのですね。木々の間隔が適当に開いていて広大な森だけれど大きな庭のような雰囲気があります。
中学の絵の時間にミレーなど「バルビゾン派」の画家たちのことを先生が話してくれました。思えば、あの時からずっとこの森に憧れて来たのでした。
フランスじゃミレーと呼ばずに「ミエ Millet 」だけど、パリという都会の喧騒を逃れて森の静寂になかで絵に打ち込んだ画家たち。
彼らは「風景」をはじめて主題に扱った。フランスでは画期的なことでした。風景画はオランダで発展しました。
ミレーやテオドル・ルッソーなどの風景画家を訪ねてモネなど後の印象派画家たちもバルビゾンを訪れました。モネは脚を骨折して隣村のシェイイ・アン・ビエールの
旅籠屋のベッドに寝ました。その絵が残ってます。ゴッホもミレーの絵の「種まく人」や「積み藁」をコピーしてますよね。印象派の画家たちはオランダへ風景画を学びに旅行してます。バルビゾンの画家にはじまり、印象派、後期印象派に共通なのは画家がアトリエを出て野外で絵を描き始めたこと。彼らは自分の肉眼で、外気を光と空気と陰の中の色彩を観察したのでした。モネの絵の陰は無彩色ではなく、紫や青や黄色や橙が使われています。モネの絵は筆遣いが雑なようでも遠くから離れてみると、忽然と光と空気、三次元の空間が現れます。それは、なにか魔法のようでもあります。なによりも空気が感じられるのですね。
昔この森の近くに住んでいた頃は毎週2回は森を散歩しました。
そうしたある日、森林管理官(ガルド・フォレスチエ=森番)による説明会があるという張り紙を見て、その日時と場所へ行ってみたことがあります。その時、緑色の制服を着た管理官からさまざまな興味深い話を聴くことができました。
フォンテンヌブローの森はユネスコの世界遺産に登録されています。
フランスで4番目に大きな森です。が国立公園ではありません。
管理官の説明では、国立公園にすると樹木を切り倒せなくなってしまう。
森は人間が手を加え、必要な時に伐採し植林してゆかないと衰弱してしまう。
森番の仕事は、森に棲む鹿、イノシシ、きつね、たぬきなどの動物を違法な狩猟から守るなどの役目のほか、もっと大事なのは樹木を観察し、傷んだり他の樹木の生長に邪魔になる木を見つけて伐採の準備、印をつけることなんだそうです。伐採すべき樹木がある数量に達した時、入札を行って、落札した材木業者が伐採し木を運び出すのを監督するのだそうです。
もともとフランスの森は広葉樹林ですが、主に産業革命時代に燃料として切り倒したためその後に成長が早い針葉樹を植えたんだそうで、有名なドイツの「黒い森」も人間が植えた針葉樹だそうです。
ただ、針葉樹は根が浅い。1999年の突風ではこの森だけでも数十万本の樹木が薙ぎ倒されました。
そのほとんどが針葉樹でした。
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