路地をはさんだ隣家の窓に仔猫が3匹↓
ウチの家の窓にも毎日、朝、昼、晩にもう少し大きい仔猫が3匹交替で餌をねだりにガラスを引っ掻くのですが、この仔猫3匹はお初に御目文字しました。
二度目のバラが咲き乱れています。
今年の6月のバラは雨に祟られて無惨でしたが、二度咲きの今、ようやくバラらしさを取り戻しました。
ヴィクトル・ユゴーが大輪の花をつけました↓
フランスを代表する大詩人、「レミゼラブル」を書いた小説家にふさわしい大きく真っ赤なバラです。
こちらは、やはりフランスの詩人ピエール・ド・ロンサールの名をもらったバラです↓
丈夫で虫や病気にも強く毎年たくさんの花をつけ楽しませてくれます。
日本でもお馴染ですね。
ロンサールは、フランスの庭園と呼ばれるロワール河畔のルネッサンス期の大詩人で、「恋愛詩集」などフランス詩、フランス語に革新をもたらしました。
こちらは古バラのひとつ、ジャック・カルチエ↓
北米大陸カナダを発見した16世紀のフランスの航海士です。
ジャック・カルチエは1491年にサンマロで生まれ、国王フランソワ1世の命を受けて1532~1542年の間に3回北米大陸へ渡りカナダを発見します。
セント・ローレンス河口に広がる湾を探検したカルチエは、イロキーインデイアンの酋長ドナコラの知己を得ます。
ドナコラ酋長の息子二人を連れてフランスに戻り、1535年にふたたびセント・ローレンス湾に至り、夏のあいだに河を遡り、ケベック地方とそこの丘の上にある、周囲をトウモロコシ畑で囲まれ、木の柵で囲まれた中に50ほどの家の集落がある要塞を発見、丘を「国王の山」Mont Royal モン・ロワイヤルと名づけます。
これが訛ってMontreal モンレアル、英語でモントリオールとなりました。ちなみにケベック地方はインデイアンにKanata と呼ばれており、これがカナダの国名になりました。
ジャック・カルチエの船は1年半分の食料を積んでいたのですが、冬に入りセント・ローレンス河が凍って船は閉じ込められ、沢山の船員が壊血病に罹って倒れました。
ドナコラ酋長は、インデイアンの伝統療法、すなわち松の葉と樹皮を煎じて壊血病(Scorbut)に冒された船員に飲ませて治しました。このことがヴィタミンCと、さらに抗酸化剤の発見につながったと言われています。