先日、記事を書きながら調べて知ったことなんだけれど、私がパリに着いた初めの頃にホメイニ師がイランに帰りイスラム革命が成功した。
私はホメイニ師は長いことパリ近郊で亡命生活を送った末に、イランへ帰り革命を成功させた。その後の、反欧米的なイランの政治姿勢を考えると、なあ~に、フランスのお世話になっときながら、叛旗を翻すのはけしからんじゃないか、などと思い、フランスに長く住んだことがフランスの悪い面を観せ、嫌な思いをさせられたことが、欧米の物質主義への批判になったとばかり思い込んでいた。こんど調べてわかったのは、そうではなく、ホメイニ師がパリ郊外に住んだのはほんの短い期間だったということだった。
私は、現在、ヨーロッパへ民族大移動のように押しかけて、ドイツではメルケル首相の立場が危うくなるほど問題を起こしてる難民の奔りみたいにしてヨーロッパに来た。学生時代のヨーロッパへの憧れと、日本の状況から逃げ出したいという思いが根底にあり、サラリーマンをしてやっと貯めた僅かの金を持ってヨーロッパへ渡った。いうならば坊ちゃん難民だったな、と今になって思う。
日系企業の走り使いや、通訳やらをしてその日暮らしを重ねているうち、なんとか定職に就けないものかと望むようになった。そこに起こったのがイランのホメイニ師が指導する「イスラム共和国革命」だったのだ。
私が通訳としてアフリカの砂漠について行った会社は海外で石油プラントを設計施工してるエンジニアリング会社で、イランで三井グループがやっていた巨大石油コンビナート建設プロジェクトにも参加していた。
バンダル・シャプールといえば耳にしたことがある人もいるのではないか?この革命でプロジェクトは国有化され、三井グループはプロジェクト遂行が出来なくなってしまった。私がアフリカのフランス語圏に通訳として同行できたのも、エンジニアリング会社が、イランに派遣していた数百人のエンジニアの仕事がなくなってしまい、どうすべきか? と喧々諤々の議論を重ねた末、うむ、アフリカにはフランス語圏の国がたくさんあって、中には石油・ガスを産出するアルジェリアなんて国もあるようだぞ。仕事にあぶれたエンジニアは今後はアフリカのフランス語圏に市場参入すればいい、それにはフランス語ができる人を雇うんだなとある専務の発言がきっかけで、そうか、そんな国があったのか、と眼を向け始めたんだね。
そんな世界史的事件が私個人の身の上にまで波及して、私はこの日系企業に使われるようになり、その後20年近くをパリとその近郊で働き暮らすようになったのだった。ある意味、ホメイニ師のお蔭と言うこともできるなあ~と今になって考える。