少年の決断 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

少年は塀の後ろでじっと耳を澄ませた。
板塀の向うでは、いつもの遊び友達、健ちゃん、多喜男君、それに竜べえなどの
話声が聞こえる。路地に接した植木屋から源ちゃんと清ちゃんが出て来たと見えて、子供たちは、これからの遊びに声が裏返るほど興奮して、喋りながら公園へ向かって行った。

少年は、家の隅の庭の竹藪に半ば身を乗り入れ、いざとなったら、そこにある
かつてのフェンスの柱に足を掛けて塀を乗り越え、彼等の仲間入りをしようと
思っていた。

「でも、まてよ。今日は、やめといたほうがいいかもしれない……」

4~5歳の間少年は東京からずっと離れた兵庫県の田舎で祖母と二人きりで暮らした。土地の子供たちと、夏は膝くらいまでの小川に盥を浮かべて遊び、冬は雪の球を作ってはぶつけ合って遊んだ。その間も、自分は東京から来た子だという意識が土地の子との距離を子供の意識のどこかに感じさせていた。5歳になって東京の親の家に戻ってからは、こんどは逆に、田舎から出てきた子だという意識が、隣近所の子供と遊ぶ時に、「よそ者」の意識を少年に、かすかに感じさせていた。

僕は、彼等とは本当の仲間にはなれない。どこか違った子供なのだという意識が絶えず少年を「よそ者」として、土地の子供たちとの間に距離を作っていた。

「来週から、また期末試験だしな」

少年の心には、中学に進学してから、急に重要さを持ち始めた学校の試験のことが浮かんだ。区立の中学校は、毎学期、中間と期末の2回ある試験の成績順に全生徒の名前を書きだした横に長い紙を廊下に張り出すのだった。成績順など小学校の時は意識したことがなかった少年は、中学へ上がって初めての試験で、前から二番目に自分の名前が書いてあるのを見て「ばからしい」と思いながらも、それからは、試験の成績順というものを意識するようになっていた。

ベーゴマやメンコ、ビー玉に熱中したあの夏休みの毎日とは違う自分が
心の中で頭を擡げるのを少年は感じていた。


あいつら毎日遊びにうつつを抜かし、学校で習ったことの半分も覚えちゃいない
竜べえやケンちゃんは、あれはあれでいいんだろう。家の商売を継げばいいんだし。学校の成績などたいして重要じゃないんだ。

一方の僕はといえば、竜べえやケンちゃんと同じようでいては、
この先いい学校へは進めなくなる。お袋がいつも言う繰り言が耳に甦る。
「ウチはサラリーマンなんやし、お金もたくさんあるわけやない。しっかり勉強して、ええ学校へ行って、ええ会社に就職するしかないんや。お父さんはエンジニアなんやし、理科と算数はあんたも得意やから、理科系へ行けばええわ。寄らば大樹の陰ゆうて大企業に入っとけば安心や。そのためにはしっかり勉強して、試験でもええ成績取って、ええ上の学校に行けるようになりなさい」

学期中に習ったことを、教科書を読み直して、もう一度復習する。習ったことで
理解できたから覚えていると思っていても、いざ言葉や図で表記してみようとすると完全には覚えきれていないことがたくさんあった。それをいちど復習するという
単純なことで、ほぼ完全に頭に入れ、必要なら再現できるのだった。

試験前に自分で計画を立て、日ごとに実行することで、二週間あれば、その学期の半分の期間に習ったことをすべて確実に頭に入れることができた。

こういう勉強法を自分でやるようになってからは試験の成績が抜群によくなり
自分でも、遊ぶよりは、勉強の方が面白くなった。

でも、近所の同年齢の子供と自然な仲間意識で遊ぶことの楽しさは、勉強では
味わえない魅力があり、その誘惑に打ち勝ったとしても、ある寂しさが、孤独が
少年の心に残った。

竜べえの家には境の生け垣の隙間から出入りしていた。竜べえの家の壁と隣の塀との狭い通路から公園へ出られるのだった。また石屋のケンちゃんの家は庭が公園に続く墓地に繋がっていた。彼等はみな商売人の子供たちだから、勉強しなくても親の職業を継げば暮らしに困ることはない。

いちど、ケンちゃんと取っ組み合いの喧嘩をしたことがあった。ケンちゃんの方が少年と比べて格段に体格も良く、腕力があったので、少年はたちまち組み敷かれてしまった。抵抗を諦め、ぐんにゃりしてしまった少年を見て、ケンちゃんは闘争心を無くしたのか、黙って立ち上がってしまった。


こんな遊びとはもう、今日かぎりお別れだ。少年のの足もとにはお菓子のブリキの箱にぎっしりと詰められたメンコ。別の木の箱には透明な丸いガラス玉の中に青、緑、橙、黄いろ、赤と七色の飴のような模様が溶かし込まれたビー玉が入っていた。これは宝の箱だからだれにも見つけられない秘密の場所にこっそり埋めねばならない。

ビー玉

少年は、決心すると、竹藪から少し離れた八つ手の木の陰にスコップで穴を掘り
メンコとビー玉の入った箱を埋めた。

竹藪と八つ手の木の間には、荒いコンクリートの防火用水が置いてあり、そこには一年中水が張ってあった。多摩川へ釣りに行ってビクに入れて持ち帰ったクチボソと鮒が今も用水の中を泳いでいる。

少年が縁側に座ると、雌の三毛猫が寄って来て膝に飛び乗った。いつも毛を撫でてやり、お腹の毛を逆撫でして白い産毛を広げると大抵、ノミが4・5匹逃げてゆくのがみつかる。その中から、いっぱいに卵を抱えて
腹が白くなった雌のノミを捕まえ、両手の親指の爪に巧く挟み込んで、プチっと潰してやるのが、猫と交わした黙契なのだった。猫は少年の膝で目をつぶり、満足げにゴロゴロと喉を鳴らすのだった。

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