ルーアン覚書 その⑦ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

今日は今までとは反対の西の方向へ行って見た。広場の外れに黒いスレートで屋根も壁も覆った家があり興味を持って覗くと、そこは17世紀の古典劇作家コルネイユの家だった。コルネイユの名は、今の駐日フランス大使のポール・クローデルの講演を聴いた時に知った。

大使は本職は劇作家、詩人なのだ。フランスの古典劇として悲劇のラシーヌ、喜劇のモリエール、そして特に武人の情念の葛藤を扱ったコルネイユがいるという話をした。私にはコルネイユがいちばん関心を惹いた。彼の一番の傑作は「ル・シッド」という劇で、若い騎士が侮辱を受けた父親から仇討ちを頼まれるが、その敵は恋人の父親で、父親の名誉を守るという武士の義務を貫くべきか恋を選ぶかで葛藤する劇だ。私のフランス語はいまだフランスの古典劇を読みこなすほど練達からはほど遠いが、欧州の騎士道には日本の武士道と通じるところが沢山あるので大いに興味をそそられる。

若い頃「アーサー王と円卓の騎士団」を読んで熱中したものだ。エクスカリバーてふ聖剣が出て来ることも武人を志す者の心を掻き立てるが、なにより理想の王国を築き、王と家臣、家臣相互に上下の隔てなく全員対等の円卓を囲んで国の運営を行うところが胸を打った。しかし、アーサーの理想は、思いがけぬところから崩れ去る。フランスから武者修行に渡ったランスロットという騎士が出現し、一目ぼれをした王妃のグイネヴィアとの不倫の恋を家臣が国家への裏切りだと糾弾したところから悲劇が始まり、アーサーが乱心し正気を失い、国は乱れ、しまいには国を救う唯一の策と「聖杯」を探しに出かけた騎士たち全員が悪の化身に殺されてしまう。

アーサー王伝説は、ブルターニュの霧深い魔術師や妖精が出て来る雰囲気の中で生まれ、土着の民の管理をローマ帝国から頼まれたいわば代官の中の優れものの伝説と結びつき膨らんでいった。私から見ればフランスが本家の伝説だ。ランスロットはフランスの騎士だし、円卓の騎士の中では最も身分の低い出ながら他の騎士全員が死に絶えた後も、生きながらえて聖杯(グラール)を見つけアーサー王を正気に戻させたパーシヴァルもフランスの吟遊詩人クレチアン・ド・トロワの創作だ。

その伝説を如何にも自分の国が原産のように、しかも国王がアーサーの血を引くものだなど出鱈目をデッチあげ坊主とつるんで墓までこしらえたプランタジネット朝はずるい王朝だ。もっともどの王朝も自分を正統づけるために伝説や神話を利用してるし、日本とて例外ではないのだが、私は日本の王朝が世界中どの王朝とは比較にならぬくらい古い歴史を持つことを誇りに思う。ましてや私の先祖は上杉謙信に仕え、関ヶ原では西軍に加わって敗れ米沢に移封され、戊辰戦争では薩長と戦って敗れただけに、維新後は人一倍強い勤皇の精神を示さねばならないのだ。

私には騎士道の伝統はフランスにこそあると思ふ。いささか個人主義が過ぎて実戦になると集団の力を頼んだイギリスに負けることが多い。英仏百年戦争でジャンヌダルクが現れる前までフランスは負け戦の連続だった。ヘンリー5世が軍を率いてポワチエの近くでフランス軍を破り、さらにここノルマンデイーのアザンクールで、数の上では劣勢だったにもかかわらず地の利を得た英軍は長弓という単純な武器で矢を遠くから雨霰と射かけてフランスの騎士たちを完膚なきまでに打ち破った。

ほんとうは、長弓は当時すでにあった鋼鉄製の甲冑を貫くことができず、真の勝因は騎士道の誇りに捉われ個人技に徹しようとしたフランスの騎士たちが地の利が悪い狭隘部に押し固まり剣が自由に使えず、「われこそは……」と名乗りを挙げてる間にイギリスのどん百姓の寄せ集めが手に手にこん棒や鉈をぶん回して騎士の脚と言わず頭を殴り倒してしまったというわけだ。この戦はフランスの貴族の血を引く騎士団に終結をもたらした。


もともと、ノルマンデイーは北のヴァイキングが攻めて来て、フランスから譲り受けた土地だ。ノルマンとは北の人てふ意味で、ドラッガーてふ船でセーヌの河口、いまのル・アーヴルてふ港町があるところへ上陸し、パリまで攻め上った。パリを奪われるのを怖れた国王がここの土地を譲り渡した。ローランとかいう大将は馬に跨っても足が地に着くほどの大男で、その子が孫がウイリアム征服王なのだ。ちょうど日本の鎌倉幕府開設と同じくらいの年に、ウイリアムは千艘ほどもの舟を引き連れ英仏海峡を渡り、ロンドンを征服した。ロンドン塔はウイリアムが建てたものだ。

その数代あとのヘンリー2世だったか英国国王はフランスで生まれフランスで育ったため英語が話せずフランス語で通した。ヘンリーが結婚した相手の女がギュイアンヌ地方てふ今のボルドーを中心としたアキテーヌ地方で、アリエノール・ダキテーヌと呼ばれる女は輿入れに際し、持参金代わりに領地を持った来た。アリエノールは再婚だったので、最初の夫はフランス人なので、ギュイアンヌ地方の領有権を巡って争いが生じた。それが英仏百年戦争の始まりだという。

ジャンヌダルクの時代、ロワール河以北はイギリスの支配する土地だった。
ノルマン人にとってみれば、ヴァイキングだった時代に攻め取った土地をすこし南に拡大したに過ぎない。居たって別に咎められるいわれはない、というような心境だったに違いない。この時代は、現代で言う国境もはっきりせず、国家てふものの存在も極めて漠然としたものだったと思ふ。

イギリス国王ヘンリー2世はブリテン島には行かずほとんどを大陸で過ごし、王妃のアリエノールと馬車でボルドーからノルマンデイー、シャンパーニュ地方を移動して回った。家臣が大事件を知らせるのに方々探し回り見つけるのに5~6日も掛かったてふ話をどこかで読んだことがある。

もっと遡れば、そもそもヨーロッパの今ある国々、ドイツ、フランス、イタリアは日本の平安朝に当たる時代、シャルルマーニュが没した後の相続争いから出たのだから、一緒の家系といって過言ではない。

英仏が戦争を繰り返した百年の間に次第に国家意識ができあがっていった。それでもブルゴーニュはイングランドと結託してあわよくばフランス領をと狙い、国王の地位を奪取しようと甘い夢を見ていた。ジャンヌという小娘は、神のお告げというが、この時代、跳びぬけたナショナリストだったのだと思ふ。

このアリエノールちゅう女も隅に置けず、宮廷に吟遊詩人を侍らせて、中世にあって宮廷風恋愛てふ、自由恋愛を鼓吹した。最初の旦那との間にできた娘、マリー・ド・シャンパーニュも母親の跡を継いで、吟遊詩人のメセナとなり、騎士道物語を韻文で書かせたりしたのだ。アーサー王伝説に出て来る重要な騎士、ランスロットを創作したのは、このマリー・ド・シャンパーニュの依頼を受けたクレチャン・ド・トロワてふ吟遊詩人だ。

アングロサクソンの盛時は、いつまで続くのだろう。あまりに長すぎる。これと戦ったナポレオンもドイツも共にやられた。いつも英の方が仏、独の台頭強盛を案じて、口実を設けて、他人に教唆して戦をなさしめ、戦費を貸しつけては儲け、植民地を獲得している。実にズルイ国だ。

将来のことを考えると日本人は支那人を馬鹿にしてはいけない、英人の手先に使われているインド人をいじめるような愚かなことをしてはならない。

フランス人の人なつこさと違いイギリス人は冷たく現地人を突き放しながら利用し搾取する。いつかイギリスの植民地主義に棒杭を打ち込み、やめさせる工作をやってみたいものだ。

  (つづく)

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