始めたのが7月下旬のことだから丸一か月かかった。途中雨続きで中断を余儀なくされたけれど、めでたく完成にこぎ着けることが出来ました。
足腰が痛んだり辛かったけれども全体の感想としては楽しかったな、と言えます。
設計図も、寸法も決めず、すべて現物に合わせて、ひとつづつ形とネジ穴の位置を決め、仕損じたところはやり直し、手を掛けて作ったから品質的には過剰なほど上質の屋根が出来上がりました。この記事の①でご紹介した留め具のフックは使わず、銅製のクギと一部ネジで留めました。
スレートは半端切れを下に敷きすべて二重にしたので、重くなったが丈夫な屋根になりました。一列5枚で9列半。左右の表だけで約100枚、下敷きも入れると約200枚のスレートを使いました。一枚の重量を平均300gとすると全体で60kgの重量となります。それくらいは持ちこたえるだけの太い梁を使ったので少なくとも10年は持つと信じます。
水の取り入れ口は木枠が濡れないよう一工夫↑ 鉛板で縁を囲いました。
貯水槽なので、雨が漏ることはむしろ歓迎すべき。桟や垂木を濡らすのだけは避け、スレートと桟の間にビニールシートを張りました。木材は濡れたい乾いたりを繰り返すと腐るので。ところどころシートに穴を開けて滴が垂れるようにしました。
目的は、絶え間なく降り続ける針葉樹の葉を遮断し、猫が乗っても落ちないようにすること。蚊とか雨蛙が入りこむ隙はむしろ通気のために意図的に開け、猫が入りこむ隙間だけは無いようにしました。
水の取り入れ口の蓋を開けたところ↑
細部の凝りようをご覧ください↑ 取っての取り付け部の木枠は鉛板で保護してあります。
開口部の蓋の下部の取っ手を付けた部分↑
本当は、家の屋根でしたら、こんな緩い傾斜では水の切れが悪く、屋根として役立ちません。最適傾斜角を計算する数式がありますが、材料費の関係から無視しました。すべて残っていた材料を使い、新たに購入したのは垂木と桟と防腐塗料だけで締めて約1万円でした。
一工夫はこれです↑ 壁が高くなった部分は鉛板を当てて垂木を保護しました。
楽しかったという感想は久しぶりに自分で考え材料を選び、工法を工夫して作ったからだと思います。モノは小さいけれど、全部、始めから最後まで自分の意志通りに作れた故の満足感でしょう。
時間と労力がやたらと掛かる原始的な作り方なのだけれど、現代の流れ作業による大量生産の対極にある職人的「もの作り」でした。こういう「もの作り」の喜びを現代は失ってしまっていますが、こんな田舎だからこそできることでしょう。
最後は、屋根葺き職人さんが残して行ってくれた鉛板で、屋根の尾根、頂点にあたる部分を覆いました。
これですべて完成です↑
人間が職人的「もの作り」のやり方を失ったのは産業革命からだと思います。英国で蒸気機関が発明され実用化されてから産業が発達し、安い労働力を使った生産方式が組織され、大量生産へと発展し、安く大量に生産した商品を売りさばく市場と、原材料を求めて英国に、ついでフランスに帝国主義の時代が始まりました。
第一次大戦で総力戦を経験し、驚くべき数の兵士と市民が犠牲になったにもかかわらず、二度目の、さらに規模の大きな総力戦を人類は経験しました。第二次大戦を特徴づけるのはナチスによるユダヤ人の絶滅と広島・長崎への原爆投下でした。ホロコーストはなにもガス室による大量殺戮だけではなく、一瞬にして数十万の市民を殺戮した原爆投下も、さらに恐ろしい大量殺戮でした。
第二次大戦から70年が経ち、いまだに人類は核兵器を廃絶することができません。僕が田舎に住むと決めた理由のひとつはもし核戦争が起こったなら都市が真っ先に核弾頭投下の標的にされるだろうと考えたからで、恐怖心に基づいています。
核への恐怖を笑う人がいるでしょうが、現に人類すべてを絶滅するだけの核兵器を持っているのだから、いわれのない恐怖ではありません。
ナチのガス室はユダヤ人という一人種に絞って恐怖と悲惨と絶望を与える絶滅作戦だったけれど、アメリカの原爆に始まる核兵器の開発とその後の核競争は、人類全体を恐怖に陥れるホロコーストであり、「存続か絶滅か?」人類の歴史を未曽有の危機に陥れています。核競争は今日も、イラン、北朝鮮を中心に続いています。
作業中も絶え間なく針の葉が降り続けました↑ ビニールシートはこの部分で結露するため最後 切り取りました。
ヒトラーは、自動車の大量生産を世界で初めて実現したヘンリー・フォードの崇拝者だったし、ユダヤ人への憎悪から絶滅の方式を大量生産方式と同じシステマチックな方式で行ったのだから、生産と殺戮という目的が正反対ではあっても、考え方は一緒でした。ヒトラーとフォードの考え方に共通した基本は、効率と徹底した合理性だと思います。
ものを作る事、工作や図画が小学校中学校と好きで、大きくなったらエンジニアになろうと決めていた僕を、大きく進路変更させたのは思春期になって、科学技術の倫理性に懐疑を持ったからでした。
科学技術は人間社会にほんとうに幸福を齎すのか?
むしろ人類に不幸と恐怖を作りだしたのは科学技術ではないか?
素朴なやり方によってもの作りの喜びを取り戻さねばならないと思います。











