アナーキズムについて  | 雷神トールのブログ

雷神トールのブログ

トリウム発電について考える

最初にお断りしておくと、以下はフランスに長年住んだ男の直観的感想に過ぎない。これを出発点として思想史的な考察に深化発展がなされれば好いと願っている。今はまだそんな段階。

逮捕

「アナーキズムの親」と言われているプルードンに「所有とは窃盗である」という言葉がある。「所有とはなにか?」という彼の二番目の著作にある。私有財産を否定するかのようなこの言葉だけを見ると、なるほど「アナーキズム」は市民社会の原理をも断罪する革命的な思想だなと、思ってしまう。事実一般には、そう思われ危険視され、大杉栄など逮捕され惨殺されてしまった。

フランス大革命に際してラファイエットが起草した人権宣言にも「私有財産は神聖にして犯すべからず」と明記してある。その神聖なる私有財産が盗みだって! これは社会に対する捨て置けない挑戦ではないか! この言葉だけをみれば誰しもそう感じる。私有財産、所有とは現代社会においても、それほど神聖犯すべからざるものなのだ。

「窃盗」は交通事故で人を轢いてしまった罪より重い。「レ・ミゼラブル」のジャンバルジャンがパンを盗んだだけで、懲役を科され、石切り場などで重労働を続けねばならない。出獄後もジャンバルジャンは司祭の家から銀の燭台と食器を盗むが、司祭は刑事に、これは私が与えたのだと言う。


ヴォル

「所有」についてのプルードンの上のことばは衝撃的だ。ただ、プルードン自身がこの言葉のすぐ後に書いているように、これは読者を惹きつけるための宣伝文句なのだ。ちょうど「奴隷制」とはなにかを議論する時に「それは人殺しである」と言うのと同じように。

プルードンの思想は今日から見ると、そんなに過激な革命思想ではない。なるほどフランス大革命は進歩ではあったけれども「革命」ではなかった、なぜなら支配者が王様からブルジョワ出身のロベスピエールとか、後にナポレオンに代わっただけで支配/被支配の関係は変わらなかったから。故に、さらに革命が必要だ、としたところは過激なように見えるけれども、所有についてみれば大規模所有者を否定はするが小規模な所有は肯定し礼賛さえした。ちょうど北一輝が「国体論および純正社会主義」、さらに「
国家改造案原理大綱」でそうしたように。

「個人主義の思想は仏国革命の名に於て貴族階級に独占せられたる土地を全国民の労働によりて獲得すべき私有財産の下に置き、而して革命の波濤は横ざまに東洋に波及して維新革命の民主主義を経済上に現はして土地私有制を確立したるなり。」(北一輝「国体論および純正社会主義」90頁)

「個人の独立と自由」を徹底的に尊重するためには最小限の私有財産を持たねばならない。北一輝と大杉栄とは徹底した個人主義の所有者だった点で共通している。

「欧米の如く個人主義の理論と革命とを経由せざる日本の如きは、必ず先ず社会民主主義の前提として個人主義の充分なる発展を要す。」(同上 1頁)

中国の辛亥革命に参画しようとして失敗した北は、「国家改造案原理大綱」を秘密出版した。47部しか刷られなかったが、これを筆写して読む人がいた。その一人が当時東京帝大の学生で後の東条英機内閣の商工大臣、戦後首相になった岸信介だった。岸の「我が青春――生い立ちの記/思い出の記(昭和58年刊)にはこうある。

「『日本改造法案(ママ)』なる秘密出版を徹夜して読み、且つこれを写したことがある。この北氏は学生時代に私に最も深い印象を与えた一人であった。(中略)『日本改造法案』は最初社会主義者であった同氏の国家社会主義的な考えを中心として、一大確信を我が国体と結びつけたもので、当時の私の考えて居た所と極めて近く、組織的に具体的に実行方策を持ったものであった。」

具体的には北のこの国家改造の方法は、「政治的経済的特権階級」を「切開して捨て」、つまり枢密顧問官其他の官吏、華族、貴族院を廃止し、天皇と国民を直接結び付け、「国民の天皇」を具体的に制度化する。つぎに、「私有財産限度」を三百万円に設定する。それ以上の私有財産は国家に納付させ、これに違反するものは死刑に処す、というのである。

当時の三百万円を21世紀の現在の金額に直せば、300億円にも相当する。それに大資本の国家統一に「私人生産業の限度を一千万円とす」とあるから、現在の一千億円に相当する、こんなものは社会主義でも、ましてや共産主義でもない。反革命だと批判された。しかし北一輝のこの構想は、第二次大戦後GHQによりことごとく実現された。


「所有」と「盗み」が矛盾するようにプルードンの考えは矛盾に満ちているのだが、それは社会の在りようを在りのままに捉えようとした現実主義によるもので、ヘーゲルやマルクスのように矛盾を止揚し個人の所有を全否定して共産社会と労働者による独裁を主張するものではなかった。矛盾は社会が動的に動く原動力であるから、これを否定しては社会が死んだものになる。問題は解決しなければならないが、矛盾(プルードンはアンチノミーと呼んだ)は否定したり取り除いたりはできず、その間のバランスを見出すことが重要なのだ、と説いた。

プルードンは醸造業者、樽職人の父親の元に生まれた。労働者の出身なので他のインテリのようにへんなコンプレックスを持たず、労働者階級の悪い面や限界をも見て取っていた。生産ということを重視し、今日さかんな生産性の向上を大切だとみる進歩主義者だった。

労働者には自分たちの生活と社会を管理してゆく能力があるのだから、上から管理されたり支配される必要はない。それを広げて行けば政府なんか要らないとなり、だから「無政府主義」と呼ばれる。労働者による自治、労働者の自主管理を最初に唱えた人といってよい。

プールドンが理想としたのは1871年の「パリ・コミューン」だった。この理想社会は現実には2か月しか続かず、主体的に戦った労働者2万人もがプロシア軍に包囲されるパリに攻め入ったフランス・ヴェルサイユ軍により虐殺された。

フランスの写実派の画家クールベがプルードンの肖像を描いている。クールベはパリ・コミューンに委員として参加し、ヴァンドーム広場にあったナポレオンの銅像をみんなで引き倒し、その咎で投獄された。

めのおは直感的にアナーキズムの源流は初期キリスト教にあるのではないか? と思っている。

聖書には有名なイエスがエルサレム神殿に入った時の短い記述がある。商人たちが神聖な広場を雑踏に変え、羊、牛などの糞尿まみれにし、両替商が机を並べていた。イエスは両替商の机をひっくり返し、こう言った。
「わたしの家は祈りの家でなければならない」と書き記されている。それなのに、あなた方は、それを強盗の巣にしてしまった」
(ルカによる福音書第19章の32の48)
文語訳の方が格調があるので繰り返しを厭わず引用すると、
「斯くて宮に入り、商いする者どもを逐ひ出しはじめ、之に言ひたまふ。『「わが家は祈りの家たるべし』と録されたるに、汝らは之を強盗の巣となせり」(文語訳新約聖書、岩波文庫)

両替商を「強盗」呼ばわりしたイエスのこの言葉は、プルードンの「所有とは窃盗なり」に通じるではないか。

ネットで「プールドン」を検索すると、斎藤悦則氏の「所有とは何か」の第一章と第二章の途中までの翻訳が出ている。

非常にありがたい日本語訳なので、キリストに関する節を無断で拝借させて頂く。

       ***            ***           ***

「突然、ひとりの男が<神の言葉>を語ると言いながら現れた。彼は何者なのか、どこから来たのか、誰から教えを受けたのか、それは今日でも不明なままである。彼はいたるところへ出向いてこう告げた。この社会はまもなく滅びる。この世界は一新される。聖職者は邪悪、弁護士は無知、哲学者は偽善者で嘘つきである。主人と奴隷は平等である。高利貸およびその類似行為はすべて盗みである。財産家と遊び人はいつか焼け死に、貧しい人、心清らかな人は安息の地を得るだろう。男はこのように驚くべきことを他にも沢山語っている。

<神の言葉>を語るこの男は、公共の敵として告発され、逮捕された。告発したのは祭司や律法家である。彼らはこの男の死刑を民衆自身に要求させる秘訣すら心得ていた。(中略)男の死後、最初の信者たちが各地に散らばって、彼等のいわゆる<善い知らせ>を伝えて回る。これがさらに数百万の宣教者を生んだ。こうして、彼等の事業が完成したかに見えたとき、彼等はローマ側の正義の剣によって殺される。この不屈の宣教活動、迫害者と殉教者との戦いは約三百年続き、最後には全世界が改宗する。(中略)富にたいする軽蔑はときとして富の剥奪にいたる。社会は自らの原理の否定によって、宗教の転覆によって、そしてもっとも神聖な権利の侵害によって救われたのである。……」

       ***            ***           ***

浅学のめのおには、この最後のフレーズの意味するところが、いまいち良く分からないけれども、それは今後の課題に置いといて、「富の所有」に関してのプルードンの、そしてフランスの庶民(特にカトリックの洗礼を受けた人々)に、めのおが感じる金銭に対する蔑視ともいうべき感覚、経済観念のなさ、というか金銭の管理を蔑視するかのような心情の根底に、上の聖書に書かれたイエスの振る舞いの動かしがたい影響を診る。

ギリシャ、イタリー、スペイン、ポルトガル、そしてフランスと南ヨーロッパのユーロ圏で統一通貨崩壊の危機を抱えている諸国は主にラテン系でカトリックの国だ。フランスでもリヨンなどはプロテスタントが強く、金銭感覚は日本人やドイツ人と似ている。

20世紀初頭の偉大な神学者、アンリ・ド・リュバック枢機卿の全50巻の膨大な著作集の第3巻に「プルードンとクリスチャニズム」があるから、探して読んでみようと思っている。

  (つづく)

ペタしてね 読者登録してね