ブルボン・アルシャンボー その③ | 雷神トールのブログ

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アルシャンボー家はその後も着々と領地と勢力を拡げ、王家と力のある貴族との間に、主に政略結婚により関係を築いて上昇を続け、1327年、ブルボン家は公爵の地位を得ます。

ここで観光案内所で購入した歴史パンフ末尾についていた家系図を参照しながらブルボン家の歴史を見てゆきましょう。


家系図

後に聖王ルイ Saint-Louis と呼ばれるルイ9世の6番目の息子でブルボン家の令嬢ベアトリスの夫となったロベールの息子(つまり聖王ルイの孫)ルイ1世(上の家系図の左側、2つめのブロックの最上段)は、ブルボン家が出した初の国王アンリ4世直系の血統上の先祖の公爵
にあたります。

国王フランソワ1世は、英国王ヘンリー8世、スペイン(神聖ローマ帝国皇帝)カルロス5世と覇を争い、1525年パヴィで大敗して捕虜になったりしますが、ミラノに遠征してイタリア・ルネッサンスに魅惑され、当時高齢で不遇だったレオナルド・ダ・ヴィンチをフランスのアンブロワーズに呼び、シャンボール城を建てさせ、フランス語の国語化に力を入れ、フランス国語辞書を作らせ、一般民衆が高度な学者の授業を聴講できるコレージュ・ド・フランスを創設するなど、フランス・ルネサンスのメセナとなった国王です。

今日でもミシェル・フーコーやクロード・レヴィーストロースなど超一流の学者・思想家がその時々に取り組んでいる研究課題について行う講義を誰でもが聴けるコレージュ・ド・フランスは世界でも稀な市民大学と言えます。

こうした文化的な国王のフランソワ1世ですが、所有欲も強く、従弟にあたるブルボンーモンパンシエーシャルル3世(家系図左2段目塊の最下行、ブルボン公爵として最後の公爵)の財産を手に入れてしまいます。以来(1527年)、ブルボンの地はフランス国王領となりました。

その後も、ブルボン家は徐々に、王室と公家の財政、法律の管理行政に入り込み、1589年、ナヴァール王妃
ジャンヌ・アルブレットとブルボン家長アントワンヌとの間に生まれた息子のアンリ・ド・ブルボンがフランス国王(アンリ4世)となるに及んで、以後7代に渡るブルボン王朝を築くことになります。


アンリ4世
                     アンリ4世の肖像↑



アンリ4世は
フランスで現在も最も人気のある国王です。宗教戦争の只中の国王で、カトリックとユグノー(プロテスタント)の間を揺れ続け、「ナントの勅令」を出して両者の和解を図ったことで有名ですね。しかし、1610年にパリのレ・アル地区で狂信者のフランソワ・ラヴィニャックに暗殺されてしまいます。

余談になりますが、国王暗殺犯人のラヴィニャックにパリ高等法院が下した判決は「八つ裂きの刑」。ミシェル・フーコーが「監視と懲罰」で権力が見せしめに犯罪者に下す刑罰の典型として引用している有名な文なので、引用します。

「胸の乳首、腕、腿と脚の脂身の肉をやっとこで挟んで繋ぎ、国王殺害に及んだナイフを掴んだ彼の右手は硫黄を燃やした炎で焼き、やっとこで挟んだ箇所には溶かした鉛と熱した油、樹脂、蝋と硫黄を掛けよ。それから、身体は四頭の馬に牽かせ八つ裂きの刑に処すこと。引き裂かれた肉体は火で焼いて縮め、灰は風が散らすに任かせよ。」

公開の死刑執行はグレーヴ広場(現在のパリ市庁舎広場)で行われました。ラヴェヤックの身体は並はずれて頑強で4頭の馬が一日掛っても引き裂くことができず、そのうち一頭は疲労で取り替えねばならなかった。終いに執行人が刀で四肢を切り裂いたうえで馬に八つ裂きにさせた、と歴史の本にはあります。

ルイ13世に続く太陽王ルイ14世は、もういうまでもなく、絶対王政を確立し、権力に相応しい壮大なヴェルサイユ宮殿を築くなどフランスの絶頂期の国王ですね。その後、ルイ16世の代に、大革命が起こり、国王はギロチンにかけられて処刑され、フランスの王政は一旦終焉を迎えます、ルイ18世になって王政復古、さらにシャルル10世までブルボン王朝は続きます。

大革命でルイ16世がギロチンの露と消えた後、ブルボンの名は、悪の代表のように見做されたため、この町はブルジュ・レ・バンと名を改め、1802年、ナポレオンの治世となってようやく元に戻ります。

ここの温泉をヴェルサイユ宮廷人の間に最新流行の地とさせたのは、王室かかりつけの医者シャルル・ドロルムの働きだそうです。オルレアン公ガストンが、旧ゴロワ人の露天風呂を復活させ、そこに王室温泉(Logis du Roy )を建てます。これが、ブルボンの町で最初の温泉場となったそうです。


ポルト
             王室温泉場の横の建物に今も残る王家の扉↑

セヴィニエ夫人、モンテスパン夫人、この二人は友達で表向きは仲良く付き合っていましたが、心底では妬みで憎み合い、温泉にも決して同じ時期には来なかったといいます。リシリュー卿の家族、フロンドの乱の総大将コンデ公、弟のコンチ公、ノワイユ夫人、スカロン、ボワローなど、王朝華やかなりし頃の人々ですね。

ナポレオンの時代、ヨーロッパ外交を掻き回した手練れの外交官タレイランは、30年間もここの温泉に湯治に通い詰め、「私の肉体と精神をいつも最善の状態に保っていられるのはブルボンの温泉のおかげである」と言葉を残しています。

近代になってからの有名人には、カミーユ・サンサーンス、ポール・ドーミエ、セルビアのナタリー妃などがいます。


温泉正面
                 ブルボン・アルシャンボー温泉( Les Thermes )の正面玄関↑

温泉は55℃で流量は一日当たり1200m3

最近になって、利用者の嗜好に合わせ、SPAはじめ美容施設として利用できるよう温泉の体制を変えつつあります。

医療施設だけでなく、温水の中での体操(自転車をこいだり)、マッサージ、泥による美容など、医者の処方箋がなくても利用できるようです。ちなみにお試し1日コース79€(約1万円)、いちばん安くて体験できるのがサウナ、ハマムのような蒸気風呂なんだけど 8分間で8€(約千円)と、やっぱりお高いですね。

(この項、お終い)

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