1940年前後のフランス史 その⑩ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

それから私はチャーチル氏と、ふたつの人民の融合計画について話し合った。
「ハリファックス卿が、それについては話してくれました」と彼は言った。
「でもこれは、とてつもなく大きな話だよ」
「さようです」と私は答えた。
「実現には長い時間が掛かります。ですが、意志表示は即座にできます。あるべき姿を追い、フランスを支援し、我々の連合を維持するために、八方手を尽くさねばなりません」


フランスの田舎暮らし-カールトン
               ロンドンのセント・ジェイムズ街にあるカールトン・クラブ↑ 
            1940年10月のドイツ軍の爆撃で破壊され、その後再建された。


いくつかの点につき議論した後、首相は私の意見に同調した。首相は、即座に英国閣議を招集し、議長を務めるためダウニング街へ赴いた。私も彼に従いて行った。閣僚が議論している間、私は、駐英フランス大使と、閣議場の横の事務室にいた。その間、私はポール・レイノー氏に電話をし、夕刻には、英国政府と合意の上で、極めて重要な情報をお伝えできるものと希望を持っています、と予め伝えて置いた。彼は、それに基き、閣議を17時に変更すると答えた。


英国側の閣議は2時間におよんだ。その間、閣僚が、私達フランス人に幾つかの点に関し確認するために、会議室から入れ替わり出て来た。
突然、チャーチル氏を先頭に事務室に入って来た。
「われわれは賛成(ダコール)だ!」彼らは叫んだ。
実際、細部は別にして、彼等が持ってきたテキストは、われわれが提案したほとんどそのままだった。

私は直ちにポール・レイノーに電話をかけ、文書を読み上げた。
「これは極めて重要だ!」首相は言った。「私は、のちほど閣議でこれを使おう」
私は、彼をできるだけ激励するような言葉を投げかけた。チャーチル氏が受話器をとり「アロー!レイノー! ドゴールは正しいよ! われわれの提案は大きな結果を生むはずだ。頑張ってくださいよ」そしてレイノーが答えるのを聴いた後、「では、明日、コンカルノーで」と言って受話器を置いた。

私は首相の許を辞した。彼は私にすぐにボルドーへ帰れるよう飛行機を1機貸してくれた。私が、再び戻ってくるかもしれぬことを予測したうえで、私の都合どおり飛行機を使える便宜を計ってくれた。チャーチル氏自身は、コンカルノーへ駆逐艦で行くため港行きの汽車に乗りに行った。

21時30分、私はボルドーに着陸した。私の官房のアベール大佐とオービュルタン大佐が空港で待っていた。二人は私に、首相が辞任し、ルブラン大統領がペタン元帥を首相に任命し組閣を命じたと告げた。それは確実に投降を意味した。私は直ちに、翌朝発とうと決心した。(シャルル・ド・ゴール回想録第1巻64~65ページ)  

        ***           ***           ***         

この後、ドゴールはレイノー首相に会いに行き、最後まで希望を捨てず極限の闘いをした後、耐え難い重荷を降ろしホッとした様子も見受けられるレイノー氏について、同情に満ちた記述をしている。「不幸が襲い掛かる直前に内閣の長となり、スダンへのドイツ軍の侵攻、ダンケルクの敗北、パリ放棄、ボルドーの崩落、といった一連の没落へのすべての段階を、夜も眠らず、昼も休まず、不幸に面と向かう猶予もないまま、フランスの運命の総ての責任がただ一人、彼にのしかかるのを感じていた。レイノー氏はどのような状況にあっても冷静さを失わわなかった。……

アルジェへ行ってさえいれば、こうした事態は避け得たかもしれない。しかし、そうするには上層の司令部を替え、元帥を遠のけ、閣僚の半分を入れ替えるなど非常な困難を乗り越えねばならなかった。

国会は開会されず、内閣は断固とした解決策を具現できない機能不全に陥っていた。共和国大統領は国の高度な利益のための意見を述べず、閣議でも発言しなかった。つまるところ、この国(l'Etatステート)の壊滅は、よく考えてみれば国民( Nation)のドラマだったのである。 

         ***           ***           ***

その晩遅く、私は英国大使ロナルド・キャンベル卿が滞在しているホテルへ行った。そして、ロンドンへ発ちたいという私の意志を告げた。スピア将軍も会話に交じり私を引率すると申し出た。

私はポール・レイノー氏に知らせた。首相は秘密の金庫から10万フランを活動資金として私に手渡した。

私はすぐド・マルジェリ氏にカランテックにいる私の妻と子供がブレスト発の最終船に間に合うよう英国入国に必要なパスポートを手配してほしいと頼んだ。

6月17日午前9時、私はスピア将軍とド・クルセル少尉とともに、前日ボルドーへ私を運んだ同じ飛行機に乗り込んだ。出発はロマンチスムもなく滞りなく行われた。

ラ・ロシェルとロシュフォールの上空を飛んだ。港ではドイツ軍の爆撃で炎上した軍艦が煙をあげていた。重病に罹っている私の母が住んでいるパンポンの上を飛んだ。弾薬庫が爆撃を受けたのか森は靄がかかったように霞んでいた。

ジャーゼイ島で小休止した後、我々は午後早くにロンドンに着いた。私が落ち着き先を見つける間、クルセル少尉が大使館と派遣隊に電話すると、すでに彼らは我々の到着を躊躇いがちに受け止めているのが感じられた。

私は、総てを奪われ、独り、これから泳いで渡らねばならぬ大海の縁に立つ男のように感じていた。

(第2章 「没落 La chute」の終わり p67) 


 (つづく)

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