さて、ここで、シャルル・ド・ゴール回想録を覗いてみよう。なぜなら、ド・ゴールはポール・レイノー首相の信頼を受け、国防次官兼陸軍次官に任命され、ついでフランスで最年少の49歳で准将となり、この直後の重要な、ブリアール会談に臨むから。
写真は今年の4月に、ブリアールの運河橋の上から、モニュメントとカフェを撮ったもの↑
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やがて、総司令官が、パリを「無防備都市」とする宣言をし、閣議も了承した。即座に、大量の物資と人々の群れを脱出させる準備をしなければならない。私は夕方まで、この仕事に係った。至る所梱包が積み上げられ、土壇場の訪問者と絶え間なく鳴る絶望的な電話の音で、どの階も喧騒に満ちていた。
真夜中近く、ポール・レイノーと私は、同じ自動車に乗った。道路が人と荷物で溢れ、車は遅々として進まない。夜明けに、私たちはオルレアンに着き、県庁に入った。そこでは、ブリアール(注)に設置された大本営と電話で連絡ができた。
ややあって、ウエイガン将軍が電話をしてきた。首相と話がしたいという。首相が受話器を取ると、驚いたことに、その日の午後、ウインストン・チャーチル氏が到着すると告げられた。総司令官は、首相に、至急ブリアールにお越し願いますと告げた。
「実際、ウエイガン将軍は付け加えた、チャーチル氏に、前線についての現況を直接伝える必要があります」
――でも、いったい、これは何なんです? 私は首相に言った。司令官がこんな風に自ら動いて英国首相に状況を伝達する会議を招集するのを、あなたは受容なさるんですか? ウエイガン将軍は、軍事上の作戦計画の観点からではなく、政治的に行動している、とお思いになりませんか? これは、あなたの仕事じゃないですか。政府は、将軍が、こんな機能を続けることを、さらに今後も放置しと
くんですか?
「君の言うとおりだ」ポール・レイノー氏は答えた。
「こんな状況は終わらせねばならない。私たちはウエイガンの後継者候補としてアンツイジェール(Huntziger)将軍に話をしてある。アンツイジェールにすぐ会いに行こう」
――しかし車の中で、首相は私に言った。
「考えてみると、アンツイジェールの所へは君ひとりで行く方がいい。私は午後のチャーチルと供の英国人との会談の準備をしよう。ブリアールで会おう」
こうして私は、アンツイジェール将軍のフランス中央部防衛軍の司令部、アルシー・シュル・オーブへ行った。
(シャルル・ド・ゴール回想録第1巻「呼びかけ L'APPEL 」 p51~ 52 より)
(注: ブリアールはオルレアンの南東約100kmにあるロワール河畔の街。運河橋で知られ、古くはシャトーがあった。めのおは約10km上流のジアンへ買い物に行くので、週2回はブリアールを通る。この時の大本営は正確にはブリアールから15kmほど離れたブルトー村の近くのミュゲというシャトーに置かれた。)
(つづく)

