その最終的結審が出たのは、つい1年に満たない前、2012年11月21日のことでした。これについては、一番最後に触れます。
国により没収されたルイ・ルノーの財産は、会社・工場だけであり、個人所有の不動産・動産および現金は遺族に残されました。
パリの16区、凱旋門とブローニュの森を結ぶ豪邸が並んだフォッシュ通り90番地の邸宅は息子のジャン・ルイが長く住んでいました。現在はサウジ・アラビアの王室の所有となっています。
まず、ジャン・ルイは1959年に行政裁判所に「ルノー工場の国有化によって齎された損害の賠償を求める」訴えを起こします。
これに対して、行政裁判所は管轄外として訴えを斥けます。
「問題の財産は、1945年1月16日の立法府の政令により所有権の一切が移行の対象となったものであり、行政裁判所は合憲か違憲かも、正当か否かについても判断を下すことができない」というのが理由でした。
2年後、国務院(コンセイユ・デタ Conseil d'Etat、政府の行政、立法の諮問機関と、最上級行政裁判所の役割を兼ねる)は、上の判決を取消し、ジャン・ルイ・ルノーの訴えを認め、ジャン・ルイは他の小規模株主と同じ賠償金を獲得しました。
ジャン・ルイは1982年に没し、未亡人はじめ子供たちは、それぞれ不動産会社をいくつか作り共同経営者となります。中でも、最大の会社は資本金が1千百万€(約14億6千万円)。ルイの孫娘のマダム・エレーヌ・ダングリはも少し質素な44万€(約5千8百万円)の不動産会社の社長となっています。
ジャン・ルイの勝訴に気を良くしたルイ・ルノーの子孫は、「コラボ」と不名誉な呼ばわりを受けたルイの名誉回復と損害賠償の訴訟を次々と起こします。
エレーヌ・タングリ夫人はこう述懐しています。
「私は学校時代を通じて、ルイ・ルノーがコラボだったと聞くたびに、ひどく苦しみました。私の父は、それについて、なにひとつ語りませんでした。私が祖父を愛するよう学んだのは母のお蔭です。私は祖父のために闘います」
ルイの孫たち8人のうち7人が、2011年5月9日、パリ大審院に告訴します。「フランスがドイツ占領から解放され、ルノーの工場が懲罰による国有化によって私達が蒙った物質上、精神上の損害の賠償を求める」訴訟でした。
「お金が目的でなく、祖父の名誉回復と、国有化が憲法に照らして合法であったか違法であったかを問う」ためのもの、と原告は説明しました。
2012年1月11日、大審院はルノーの遺産相続人らの訴えを却下し、逆に裁判費用8千€の支払いを命じました。
孫たちは控訴院( Cour d'appel )に控訴します。
判決は、2012年11月21日に控訴院により下されました。
「フランス共和国臨時政府の決定により行われた、ルイ・ルノーの産業財産没収による国有化は憲法違反ではなく、司法はこれを再び問題視することはない」
ルイの遺族による名誉回復と損害賠償の訴えは却下され、裁判の打ち切りが決定されました。
つまり、ルイ・ルノーは確かにナチス政権に協力したのでありレジスタンスを通じて再生した共和国が、全く合法的に、ルイ・ルノーの有罪を認め、罰としてルイが創設した企業ルノーは国に没収され、国有化された。このことが歴史的事実として公的に確認されたのでした。
