4月25日の拙記事「ブリアールの散歩道」で、「運河橋」ってどんなものかを、この次、ご紹介しますと書きました。
昨日は、薄日が射したり、気温が19℃と割と暖かかったので、買い物の帰り、またブリアールを散歩しました。ロワール河の水位は、さらに増して、堤防の1メートル下くらいを、ざわざわと水音を立てて流れています。
カメラを忘れてしまったので、残念ながら、水嵩を増したロワールの写真は、5日の日曜までおあずけ。5日には古物市があるし、天気予報は晴天なので、カメラを忘れず持ってゆくでしょう。
「運河橋(Pont-Canal)」がどんなものか、一瞥で分かる写真を確か数年前撮ったはず、と、外付けHDを探したら、見つかりました! 2010年9月10日の写真です。
まず、橋の真ん中付近からロワール河の上流を見た写真です↓
写真手前に橋の上に堀のように水が溜まっているのがお分かりかと思います。これが運河なんです。
おっと! ボートが運河橋を渡って来ました。
こういう機会にはめったに出くわさないんですよね。特に冬の間は……。これから夏にかけて、ボートで運河巡りをする人が増えるので、出会うチャンスは増えるでしょう。ボートが遠ざかって、運河橋と下を流れロワール河の位置関係がご覧いただけると思います。
この橋の建設は、1890年~1894年。エッフェル塔だけが有名ですけど、エンジニアのエッフェル氏は、会社を興して、フランスの田舎に鉄橋とか、こんな珍しい橋も作ってるんですね。
運河橋は、全長662m。幅11m。水の深さ2.2m、水の重さ13680トンだそうです。
とまあ、ここまでがブリアールの「運河橋」に関してなのですが、ここからちょっと脱線します。
フランスは、19世紀前半までは、土木工事にすぐれた技術を持っていました。日本のトンネル工事の技術も明治の頃は、フランスから導入したものが多かったといいます。土木に限らず、製鉄分野でも、徳川幕府の末期に小栗上野介の決断でフランスから技術者を招き、横須賀の製鉄所(後に造船所となり現在米軍の海軍基地)を造りましたよね。明治の初期の日本の陸軍はフランス式だったんです。1871年の普仏戦争で、フランスがプロシアに敗れてからは、日本の陸軍はプロシア式に転換したんですね。
フランスが土木に強いのはローマの土木を引き継いでるのではと思います。現在でも、フランスの産業で、外貨の稼ぎ頭はゼネコンですよ。キャンプノン・ベルナールとか、名門の建設会社が沢山あるんです。中東にも進出して頑張ってますね。
昨日、Yahoo のニュースで、阿部首相がトルコと「原子力協定」を交わし、トルコへの原発輸出に「フランス」とJ/V(またはコンソーシアム)を組んで応札すると知り、唖然としました。
麻生副総理と閣僚の靖国参拝といい、沖縄の人々の感情を逆なでする「天皇陛下万歳!」にしろ、岸信介のお孫さん、いよいよ本性を顕わしたなってとこですね。
阿部首相は福島の被災地を視察してるのに、被災者がご苦労を重ねてるのも仕方のないことだと考えてるんでしょうかね。原発産業を日本の経済的復興の柱にしたいとの思いをあからさまにしましたが、本気なんですね。ちなみに、トルコは、ヨーロッパの地震専門家の間では、数年前から、近いうちに大地震が起こると予想されてる地震危険地域ですよ。
「安全」な原子炉神話をまたまた、だれかから吹き込まれたのでしょうか? あるいは、フランスからかもしれない、と思って暗澹としたんです。先月も、シェルブールの港を日本に向けて「MOX燃料」を積んだ船が出港しましたしね。でも、阿部さん、ご用心! 田中首相がロッキード事件で葬られたのは、それまでアメリカから独占輸入していた原子力燃料を、フランスからも一部輸入すると決めたためと言われてますよ。アメリカの原子力産業、産軍コングロマリットが怒り、CIAを使って亡き者にされたんですからね。
フランスの原子力産業は、第二次大戦終了直後にドゴールが「原子力庁 CEA, Commissariat a l'energie atomique 」を作り、米ソに核を独占させておかず、原発と原爆の製造に着手したことに発しています。CEAは研究開発部門で、その後、原子炉プラント製造会社に「フラマトム」、原子炉燃料製造会社「COGEMA」が出来、2001年9月には、フラマトムもコジェマも名称変更して「アレバ AREVA」社となっています。
アレバは持ち株会社で、原子炉プラントのフラマトムが AREVA NP社となり、原子燃料製造のCOGEMAが AREVA NC社に名称変更されています。
3.11の直後、サルコジ大統領とアレバ社の女性社長が、いち早く日本を訪れたのは、ちょうど中国に原発を売り込みに行っていたからだったんですね。日本訪問のあと、サルコジはアレバの女性社長を更迭しています。
CEA研究開発部門も見直され、2006年11月には、大統領直属のASN(原子力安全規制当局)となっています。フランスは原子力に関しては、民間人がなかなか口を差し挟めない、国家権力、大統領が直轄する部門なんです。この辺は、日本と比べて、もっと権威主義的といえます。今まで大事故がなかっただけで、本当に安全なのかは疑問です。高速増殖炉「フェニックス」は実用化は諦めたものの、実験炉として保存してますしね。
3.11当時、フランスはフィンランドに原発を建設中でしたし、チェルノブイリの石棺の外側を更に覆うシェルターの建設を受注したのはフランスのゼネコンですね。
僕は建設工事ってものが好きですし、大勢の人が力を合わせて、建造物を作るって素晴らしいことだなと思うんです。区切り目ごとには、建設現場の人は、昔から、「シャンシャンシャン」と手拍子の「シメ」をやってきましたよね。阿部さんは「天皇陛下万歳!」なんか叫ぶより、景気をつけたいんだったら「シャンシャンシャン!」をやりゃあ良かったのに、と思ったほどです。
不景気だ。仕事がない。景気は常に上向きで発展がなければいけない。ある意味分かりますけど、どんな危険を冒しても、特に未来の世代に危険を残す放射性物質を扱う産業を、仕事がありさえすればいいって考えで、見直しもせず推し進めるって人は、あまりにも知恵がなさすぎ、信用できない、と残念でなりません。