プイイ・フュメのシャトー | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

日付は3月31日に戻ります。

サンタマンの陶器市のあと、久しぶりにお天気が良かったので、ロワール河のサンセールへ行きかけました。でも、サンセールはもう何度も行ったので、サンセールの対岸、つまりロワール右岸のニエーヴル県側の見晴らしの良い丘に行って見ようと目的地を変えました。先日ネヴェールの町へ行く途中、高速道路の左側にワイン畑が高くなった丘の上に小さな村と教会が見えたからでした。そこへ行って見たい。確か St-Andelain とかの標識が出てました。高速77号線の面白いところは、入り口と出口によってかなりの距離を無料で利用できるんです。

サンタンドランの標識がありました。左手になだらかな丘が見えます。
丘への道を登りかけたところで、偶然はっとする光景に出合いました。
おとぎ話に出てくるような真っ白なシャトーがブドウ畑の向うに見えるではありませんか。

$フランスの田舎暮らし-しゃとー1


こんなところにシャトーがあるなんてまったく予想外でした。この辺一帯は、サンセールの白ワインと同じ辛口で「火打石(pierre de fusil )の香りがするロワールワイン、プイイ・シュル・ロワールとプイイ・フュメという銘酒で知られています。県としてはニエーヴル県でブルゴーニュ地方の西端に当たります。

$フランスの田舎暮らし-シャトー2


帰って地図とネットで調べるとありました。
「Chateau de Nozet, Ladoucette,domaine viticole」(ワインヤード、ラ・ドウセット(優しく可愛らしいといった意味)、ノゼ城」

似たような名前のワインに「プイイ・フュイッセ」がありますが、こちらは、同じブルゴーニュでもずっと内陸に入ったソーヌ川沿いのマコン地区のフュッセ村、プイイ村で産する白ワインです。フュイッセの方がやや高級でお値段も高いです(2~4千円/ボトル)。

目的地だった丘の上は民家も少なくひっそりとしていました。

$フランスの田舎暮らし-丘の上


ちょっと寄り道が長くなりましたので、ブルゴーニュの歴史は次回に譲って、ほんのさわりだけ。

「1404年に初代のブルゴーニュ侯フィリップ(豪胆侯)が死に、3人の息子、長男ジャン、次男アントワーヌ、末っ子フィリップがアラス協定で領地を相続します。

長男ジャンがブルゴーニュ、ブルグント、フランドル、アルトワとほとんど独り占めにし、次男アントワーヌはブラバント(今のベルギー北部)総督職とブラバント侯位の約束と相応の金子、領地はレーテルという小さな土地だけ。末っ子フィリップが、貰えたのは上の写真のノゼのシャトーの辺りからネヴェールの町周辺の土地、ニヴェルネ(ニエーヴル地方)だけ。

一年後にはアントワーヌはめでたくブラバント侯に収まり(女侯ジョアンナ死去のため)、アントワーヌは末っ子フィリップにレーテル領をくれてやり3人はそれぞれ満足して収まるのですが、長男ジャン(恐れ知らずのジャンの異名を持つ)が同じフランスの王家の血筋、オルレアン家とリュクセンブルグを巡って争いを深めます。」

いきなり、こう書いたのでは、前後の繋がりが分からないので、次回に、も少し遡ろうと思います。今日は、とりあえず、末っ子フィリップが貰ったのがニエーヴル地方だったということだけで……。

   (つづく)


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