機動隊導入を目前にして渉がどういう行動をとるべきかについて、おそらく社研部室で書いたものだろう。「雑学ノート」に渉の手記が挟んである。
東野渉の手記
「強硬な姿勢を崩さず学生の要求を断固撥ねつける大学側も悪い。本部封鎖という強硬手段に出ている共闘会議側も悪い。どっちも悪いとして傍観者の態度を取ることは一番やさしい。
傍観者の態度とは、何をなすべきかの選択を前にして、何も選ばない態度ではない。選ばないという道を選んでいるのだ。大学は国家権力を頼り機動隊導入を要請し、本部占拠をしている素手の学生を容易に排除し中心的な活動家学生を逮捕するだろう。学生のストなど赤子の首を捻るほど簡単に潰すことが出来るのだ。勝負は初めから決まっている。傍観者でいることを選び、ストが片付いて授業が平常通り行われるようになった時に、やれやれといった顔で教室に戻る。大学がスト派学生を排除してくれてよかった。これで落ちついて勉強ができる。そういう立場を取る多くの学生は傍観者でもなんでもなく、見て見ないふりをしながら大学側を支持しているだけなのだ。二万数千のスト賛成派はどこへ行ってしまったのだろう?
ところで僕はどうすべきか? あれか、これか? 態度を決めなければならない。中立を装い、寄らば大樹の陰とか、子供の僕に母親が言ったような世俗的な処世術はこの際はっきりと拒否しなければいけない。高一のときの改定安保反対のデモに何もわからないながら参加した時に戻って、一貫性のある立場を取らねばならない。 Coherence は大事なことだ。
僕らは小中学校で民主主義というものを習った。そして平和憲法、非武装中立が日本の国是だということも。だが現実は違う。自衛隊というれっきとした軍隊を持ち、民主主義も建前と表向きだけで、実際は権力者が思うように日本の最重要の政策決定を行っている。日米安保条約がその最たる例だ。だれがこんな条約をアメリカと結んだのか?
太平洋戦争で、あたら若い命をオンボロ戦闘機に乗って敵艦に突っ込んでいった「特攻隊」のパイロットたち。彼らは、日本の祖国、家族と身の回りの人々と土地を守るために命を犠牲にした。「国体」を守るため、「天皇陛下」のために一身を犠牲にした。
超大国アメリカを相手に戦争をせざるを得ない状況に追い込まれ「真珠湾攻撃」の成功に酔いしれて日本が萬世一系の天皇家を中心に大和民族というひとつの民族で成り立っている皇国なのだから、アメリカなぞというどこの馬の骨だかわからない人間の掃き溜めみたいな国に負けるわけがないと豪語したのもほんの一瞬のことで、ミッドウエー海戦からガダルカナル、そして沖縄戦で全滅、女子供までが手りゅう弾で自爆したり、崖から海に飛び込んだりした。
ポツダム宣言を受容し無条件降伏してから6年後に講和条約が締結された。対戦国だった中国ともソ連とも結ばずアメリカを中心とする自由主義国とだけの平和条約。その講和条約が署名された同じ日の9月8日、たった数時間後の午後5時に、同じ街、サンフランシスコの第6兵団駐屯地で、吉田首相が「たった一人の責任」において署名したのが「日米安保条約」なのだ。
国民は、こんな条約を日本政府がアメリカと交わすことなど知らされていなかった。秘密条約なのだ。しかも講和条約とセットになっている。安保条約は、日本の全土に加えて沖縄をアメリカ一国の軍事基地として提供させていただくので、そのかわりに日本をソ連と中共から守ってくださいと日本側からお願いする形なのだ。
吉田首相は、講和条約署名の式典には行きたくないと何度も固辞していた。ダレスを通じ、誰かが嫌がる吉田首相を無理やりサンフランシスコへ行かせ、一人で日米安保条約に署名させたのだ。誰かが? 頑固者で高邁な吉田を動かせる人はただ一人、「臣茂」と自ら忠誠を誓っていた、その「人」を置いて他にいない。
敵だったアメリカにすべてをお任せという戦後の体制がこうして出来た。こんなことで、皇国に命を捧げた数百万の同胞に顔向けができるか? 15歳で改定安保反対の国会デモに参加した時の気持ちも、こうした建前の民主主義をあざ笑うかのような日本の権力者の闇の世界での取引という暗い政治のやり方に反対したからだった。
機動隊導入から本部を守る行動に、僕一人が参加するしないで大勢に影響はないだろう。ここでの選択は、むしろ僕にとって重要なのだ。ここで負けると決まっている共闘会議側に加担するのは僕自身の今後の人生に関わることだから大事なのだ。僕は吉田首相のように天皇への忠義を尽くすために己が信念を曲げ、中世的な封建社会そのままの、戦争をやらせておいて、負けたとなったら身の保全と国体の護持と存続だけを考え、そのために人生も家族も犠牲にした数百万の国民のことを忘れ、手のひらを返すように敵国に阿って遠い将来の安全までも任せてしまうというような「ぬえ」的な権力者が祖国をいまだに支配していることを肯じえない。幸いにして戦後生まれの僕は、忠誠心を「象徴」という名を借りた権力には向けず、もっと普遍的な人類への理念に向けたいと思うので、少数派であり負けることを覚悟の上で闘いの列に加わろうと思う。
(つづく)

