そこに居合わせた女子学生のみんなが返答を待っているように感じ、渉は思い切って言った。すると田辺が落ち着いた声で言い返した。
「きみは純文学をやるから、高度技術者養成とか、管理運営権の剥奪とかいった問題とは無関係と言いたいんだろう」
その言葉を聞きながら渉は、へへへ、お笑い草だという薄笑いが田辺の顔に浮かんでいるように見えた。
「純文学研究の教授先生方はみんな特権的地位に居座って私は社会的ヒエラルキーとは無縁なアウトサイダーだって顔してるよね。でも彼らはれっきとした社会的エリートだ。大学の産学共同路線、大企業べったりの路線は、ぼくらの大学の理事に独占企業の副社長がいることを見ても明らかだよね。
イデオロギー的に言えば、日本独占資本は新たに東南アジアの植民地化に乗り出している。手間がかかり、賃金が高い日本国内の手作業を主体とする労働を東南アジアの低賃金労働力で賄い、国内では高度技術労働者を大量に養成しようとしている。
大学管理法の成立は、その日本独占資本のあからさまな要求が着々と進行してることを現わしている。
大学は、純良で、絶対企業に反抗しないが適度に積極的な将来の社員となる学生を労働力商品として大量に送り出すため、管理機構を画一化しようとしている。学館は、その具体的な現れなんだよ。適度な創造性を学生に与えるための設備として学館を大学が学生に与えるものになってる。大学の許す範囲内で学館は貸すが、学生の管理運営権は認めない。
一方で大学は、政府独占企業の適度に高度な技術者の養成という要求に応えるために、設備を改善し、新校舎を建て、新しい学部を増設する必要に迫られている。そのために必要な多額の資金を、一部は大資本家からの寄付という名目の投資により、残りは授業料の値上げによって賄おうとしているんだ。
授業料の値上げは僕たちには関係ないと見るんじゃなくて、あくまで資本の要請に応えるための大衆収奪とみなすべきなんだ」
田辺は腰かけている長椅子の上で身を乗り出し、深く組んだ脚をときどき動かしながらリズムを取っていた。目尻に皺を寄せて一筋の切れ目のように眼を細めながら、ときどき、その窪みの中からチラリ、チラリと光る視線を渉の方へ向けて喋るのだった。
「きみが今言った、管理化の攻勢ってことだけど、具体的にどういうことなのか説明してくれないか」
渉は田辺が使う抽象的用語の半分も理解できないと感じながら、もっと具体的な話し方はできないのか? と苛立ちを覚えながら質問した。
「ぼくらの大学に限って言えば……」
田辺は脚を組み直すと、口調を改めて話し始めた。
「具体的に、第二教育学部の廃止、新聞学科の廃止、などに見られるようにビジネスとか、産業に直接関係のない学科を切り捨ててゆく。一方で、理工学部の増設、語学の授業時間数の増大とその強制、というように、産業構造の改編に伴って、産業が要請する新しい技術、高度な技術に応えるような学部、学科を新・増設し、理工系学生には高度技術者として、文科系学生には、単なる事務能力以上に管理職として必要な知識・能力を身につけさせようとする。
したがって、そこで行われる授業も、学問、つまり真理の探究という本来大学が持つべき営みと使命とは無縁の科目ばかりが主体になる。ぼくの言う大学の管理主義化というのは、そういうことなんだよ。現在でも面白くない授業が、いっそう殺伐としたものになる。進学志望者数の増大により、マスプロ授業は益々増えるだろう」
(つづく)