帰ったよと告げてもカミサンが姿を見せないので2階へ上がると、青ざめてベッドに寝たきり、カスレ声で「デイナ」が死んだと言った。
帰ったら一番に柔らかな毛を撫でてやり胸に抱いてゴロゴロと喉を鳴らすデイナに会えると楽しみにしていたので、文字どおりショックで口が利けず眼の前が真っ暗になった。
たかがネコというが、生まれたその日から哺乳瓶で育て、やっと大人になりかけの7カ月。毎朝、胸に上がってきてはごろごろ喉を鳴らし、日が暮れて家に入らない時は庭で捕まえると、胸に両の前足を当て、こちらの眼をじっと見上げる様は人の子と少しも変わりがなかった。
可愛いとかペットとかいう事ではなくて、互いに「生きている」ことを分かち合う。カミサンが何か縁があってウチの庭の隅や地下室で生まれた仔猫を、貧しい家計を顧みず庇ってやろうと決め、人様(僕)より上等のエサを与え、エイズに罹って病気がちのネコたちを獣医さんに診せに連れて行ったのは、基本に「生の分かち合い」があるからだ。
デイナは好奇心のとても強い猫だった。出発の前の晩、荷造りしている僕をじっと飽きもせず観察していた。門と公園の間には大型トラックや耕運機、商用車がかなりの頻度で、それも加速しながら走る県道が通っている。
夏の間、デイナは垣根の下から金網越しに、県道とその向こうの公園を、じっと観察していた。垣根の向こうには、未知の世界がある。
カミサンは直観力が強く、いつかデイナが道に出て車に轢かれると危惧していた。フェンスの隙間をレンガや板きれで塞いだが、板きれが反ると壁との間に隙間が出来、そこから滑り出るところを一度見たことがある。
カミサンは雪が降った月曜の晩デイナが帰らないので、家の周辺を探し回り、カードに迷い猫を見たら知らせて下さいと書いて、パンやさん、スーパーなどの告知板に張り出してもらった。
デイナは轢きつぶされたのではなく撥ねられたのだった。轢きつぶされ一瞬のうちに死んだ方がまだ救いがあった。瀕死の状態で道に横たわっていたのをカフェに働いている若い女性が見つけ大急ぎで獣医さんの所へ連れて行った。後脚が折れ、膀胱が破裂し、鼻から血を流していたと言う。
カミサンがその女性と連絡が取れたのは、撥ねられた2日後で、獣医さんは苦悶を長引かせぬため安楽死させた。
今日、これから遺骸を引きとりに行く。デイナのお気に入りの場所だった桜の木の根元に埋めてやろうと思う。
こんどの帰郷は、まず出発がフランス全土のタクシーのストでめちゃくちゃにされた。あと1km、チェックイン限度30分前で、朝6時に家を出た甲斐があった、悠々間に合ったと安心したのも束の間、突然、高速道路に閉じ込められたまま動けなくなり、カウンターに着いたのは離陸10分前で、間に合いません、同じように遅れた人が何人もいてその日のフライトはすべて満席、翌朝の便しかありませんとなった。
格安チケットを買ったのに、タクシーストは フォース・マジュール= 不可抗力には当たりません。変更料金を280€頂きますと言われ泣き泣き払わされた。他の交通手段を使えば来れた筈というのだ。歩いても行ける距離にいたが高速道路に車を置いとくわけにゆくまい。荷物もあることだし。やっと流れ始めて車を入れた長期間駐車場は150€前払いだし、ゲートの暗証番号は入る時と出る時、一度限り。2度押したら後は無効になってしまう。仕方なく空港内のホテルに泊まった。
僕の前の若い男も不服づらしながら50€払っていた。僕は長距離なので高かった。カウンターのアフリカ系女性は同情してくれ、迎えに来る筈の「つくば市」の兄に連絡しなければと言うとカウンターの電話を貸してくれた。僕は携帯を持って行かなかった。どうせ日本では使えないし、高いけど成田でレンタルする他ないのだ。
「みどり野」の駅ホームから見た筑波山↑
銀行は三連休はもちろん平日も午後3時で閉まる。日本の居住者以外にはクレジットカードも作ってはくれず、口座を開くことすらできない。日本の居住者は逆にニュージーランドなどに外貨口座を持つことが出来る。TPPの市場開放論者はこの点だけは正しいと思う。
帰郷中に、日本でしか作ってなくフランスでは売ってないドキュメント・スキャナーを買い、兄の家に預けてある昔読んだ本をデジタル化して処分する計画だった。
東京で驚いたのは、秋葉原の店は連休中も夜10時まで営業し、「みどり野」駅前のスーパーは夜12時まで開いていること。フランスじゃ考えられないことだ。お陰で兄に立て替えてもらいスキャナーが買えた。
雪のため、計画通りに運ばなかったが、前からの友人ほか、ブログで出会った何人かの人たちと会う事が出来た。買い物なんかより人との出会いの方が数万倍大切だ。一千万人近い東京の人たちの中から、顔を見知らぬ人と、瞬間だけ落ち合うことは至難の業で、携帯のお陰で可能となった。逆に言えば携帯にミスがあれば不可能になってしまう。
雪の新宿駅東口あたり↑
一度は約束の時間の直前に携帯のバッテリーが切れ、一度は番号を間違えてメモしてあったため、それとおぼしき人に手当たりしだい「○○さんですか?」と声を掛けて回らねならなかった。
復路。チューリッヒは雪だったのでこの分じゃパリも雪だな。車で帰れるか心配だった。行く時、慌ててパーキングの位置をメモしなかったので、雪が5センチほど積もった広大な駐車場を3ヶ所、荷物を両手で引きずりながら2時間かけてやっと探し出した。お陰で風邪をひいてしまった。
PCメガネと老眼鏡を作ってもらった。検眼の合間に4Fの窓から↑
北茨木と「いわき市」の間にある、津波に浚われた岡倉天心記念の五浦六角堂と天心美術館を訪ねたかったけれど時間がなかった。兄の家に預けた本を「自炊」する計画も時間切れで結局100kg超の古本を9個のダンボール箱に詰めて船便で送った。航空券と同じ金額を郵便局に払う。
ぎっくり腰は出発前日の注射が利いて移動中少しも痛まなかった。帰宅して安心したら急に痛みだした。
新宿も渋谷も銀座も秋葉原も東京も横浜も人で溢れ、活気に溢れるように感じた。どこも清潔で、柱の陰でボロを被って寝ているホームレスの人を見たのは2度だけだった。
滞在中、アルジェリアのサハラのガスプラントをテロが襲った。マリ南方で数年前フランス人が10人ほど人質になり、フランスが軍事介入した為、報復に襲撃したのかもしれなかった。来るものが来た感じがした。
アルジェリア軍が介入した為、数十人の人質からも犠牲者が出、テロの全員が銃殺された。日揮は僕がパリにいた頃勤務した会社のライバル会社だ。○ヨタに入る前、現地のアドミ兼通訳を募集したので、応募しに日揮のパリオフィスを訪ねた。
その頃、僕は持病の扁桃痛で微熱が続き、サハラの45℃もの気温が唯一の心配だというと「いやあ。現場オフィスでもクーラーが利いてますからご心配なく」とパリ事務所の人は言った。僕には運良く、その日サハラの現場からエンジニアが出てきていて、念のためその人にも訊くと「いまは生憎クーラーは故障してまして日中では現場事務所の中は40℃近くになります」と正直に教えてくれたので、サラリーは○ヨタの5倍ほども良かったが諦めたのだった。
日本のエネルギー源の石油も天然ガスも、そして原発燃料のウランも一部はサハラから来ている。エネルギー輸入は、こうして人影も稀な砂漠で家族と別れ働く人たちの犠牲に支えられているという現実を若い人たちは知って欲しい。
テロリストとアルカイダの関係、カダフィ派の武装集団、ニジェールのアーリットを中心とするウラン鉱山、イエローケーキプラントを、もともとは俺たちの土地だと先住権益を主張するトウアレグ武装グループ、モロッコ南部、モーリタニア、そして90年代初め、アルジェリアがFLN独裁政権が複数政党制を認め、初の総選挙で圧倒的多数を得て当選したイスラム勢力を西洋の自由主義先進工業国から見放されると危惧した権力者は正当な民衆の代表を弾圧し牢に閉じ込めた。
アルジェリアのイスラム過激派は正義の戦いを自国内で山岳部の住民を村ごと殺害するなどテロによって表明し、自由主義に汚染された歌手や芸能人をブラックリストに挙げ次々と殺害していった。
そのあと広大なサハラをジープで移動しては政府軍の監視の目を盗んで人質やテロ作戦を繰り返している。アルジェリアでイスラム原理派が民衆の支持を得たのは、西洋先進工業国の技術を買い豊富な石油・ガス、ウランなどの資源を活用する為のプラント建設、パイプラインなどプロジェクトがあるごとに、暗躍するフィクサー(仲介者)と業者選定の決定権を持つ役人たちが賄賂により私腹を肥やす腐敗した権力構造に「ノン」をつきつけたところに始まる。
(つづく)


