近代日本の国境紛争-補足 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

ノモンハン事件後、多くの軍人が予備役に回されたり、○○師団付とかの閑職に配置され、懲罰を食らったのに対し、非現実的な作戦を立て、二万に近い将兵を犠牲にした元凶とも言うべき参謀(幕僚)は、配置転換をされはしたが、現役に留まり、数年後に参謀本部へ呼び戻された。

辻は日本軍の南方進出を強く主張し、その後の太平洋戦争でも独断とスタンドプレーを続けた。

1) シンガポール華僑虐殺事件
2) バターン死の行進
3) ポートモレスビー攻略作戦
4) ガダルカナル島の戦い

などに関与している。

このうち、シンガポール華僑虐殺事件は6000人が処刑され、ほとんど辻の独断だったと言われている。また、有名なバターン死の行進では、道路上を列を作っている
米軍捕虜を見て辻は渡辺に「捕虜たちを殺したらどうか」と勧告した。

ポートモレスビー攻略作戦はニューギニア戦線で、日本軍、連合軍双方にとり戦略上、重要拠点となった港ポートモレスビーを 攻略のため日本陸軍は高峻なオーエンスタンレー山脈を越える「レ号作戦」(別名スタンレー作戦)を立て、実施する前に「リ号研究」と称した偵察を命じた。戦略 研究命令を受けダバオに赴いた辻は、大本営の決定前に「今や、リ号は研究であらずして実行である」とまたも独断専行で、命令をすり替えた。多くの犠牲者を出したにもかかわらず日本軍は結果的に何ら成果を上げることができなかった。

こんなことを書き連ねていると胸クソが悪くなるのでこの辺でやめるが、「バターン死の行進」など、太平洋戦争中の日本軍が残虐だったという記憶を今日に至るまで国際社会に刻みつけた責任は重い。

戦犯で法廷に立たされることを怖れ、数年の潜伏後、日本へ密かに戻った辻は、「潜行3千里」などベストセラーを書き、衆議院議員となった。岸信介を批判し自民党を除名された後、参議院議員に当選。1961年に東南アジアの視察を目的としてラオスに入り、北部のジャール平原で消息を絶った。虎に食われたか毒蛇に襲われたのだろうと噂が立ったのは、辻という男など「虎にでも食われてしまえ」と世人は因果応報の末路を見たのだろうか。

CIAの極秘文書には「服部卓四郎ファイル」と「辻政信ファイル」とが存在する。
辻はCIAから「第三次世界大戦さえ起こしかねない危険人物」とマークされていた(1954年の文書)。ラオスで辻はCIAに殺されたという憶測もある。


辻は上司の前でも意見が違うと大声で主張し、その語調には上司さえも自説を容れさせてしまう不思議な力を持っていたという。しかし、その意見は国際政治上の大局から観た判断や情勢の綿密な分析から出たものではなく、あくまで自己の意志を押し通そうとする我欲から出たものと大方の人が判断している。

太平洋戦争緒戦のシンガポール攻略戦で、辻を参謀として使った山下奉文大将は昭和17年の日記にこう辻の評価を書きとめているという。

「辻中佐、第一線より帰り、私見を述べ、色々の言ありしという。此男、矢張り我意強く、小才に長じ、所謂こすき男にして、国家の大をなすに足らざる小人なり。使用上注意すべき男なり」

  (以上、連載終わり)


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