包括的核実験禁止条約についてのデベート ⑥ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 司会役の背の高い青年は、彼の左脇に座っている、少し太った四角い顔の年齢四十五六と思われる栗色の髪の男を見やって会釈をした後、最前列の席に戻った。

 兵役がないのがあたりまえだった日本から兵役と軍備があってあたりまえと考えるフランスの青少年のただ中にいきなり混じった時の衝撃を和秋は今も忘れない。日本では戦争について考えるだけで悪とみなす風潮がある反面、子供達はコンピューターゲームで戦争を楽しんでいた。それも自分たちは絶対に戦争なんかに行かない、行くはずはないと信じているからだった。

 フランスへ来て和秋は戦争や防衛がもっと身近な問題なのだという事を肌身で感じた。フランスの級友の中には、日本の憲法第九条が軍隊の放棄と国際紛争の武力による解決の放棄を謳った平和憲法で、世界はこれに見習わなければならないと日本人の和秋をみんなの前で称賛するやつもいたが、大半はそのような平和憲法を持ちながら東洋一の軍隊を持つ日本の、建前と現状の甚だしい乖離にシニカルな批判をした。

 その頃から和秋は、遠からず日本は防衛問題と憲法を正面から取り上げざるを得なくなると感じて関心を寄せ、自分なりの意見を持とうと考えてきた。日本は世界で唯一、原爆を落とされて何十万という市民を失った国だなとある日級友が言った。原爆の被害の実態を和秋の口から聴くことをこの級友は期待してたかもしれないが、和秋は原爆について、広島や長崎について何ひとつ知らなかった。

 司会者の話を聴いて感じたのは、彼も指摘したとおり、核を保有する国と保有しない国の利害、立場の違いというものは基本的に理解し合えないほどに深いのではないかということだった。

 核保有国は権利を温存して他の国には持たせない。自国の実験は正しいが他国のそれは悪だ、と考える。これは、万人の平等という原則に照らした場合インドの主張の方が正しいではないかと和秋は感じた。

 自分たちは武器を捨てるから、あんたらも武器を持つのはやめよというなら話はわかる。オレたちの武器は正義を守るための正しい武器でお前たちのは征服を志す邪悪の武器だというのは、世界政治の舞台で恒久的な優位を保とうとする戦勝国のエゴイズムじゃないのか?

 (つづく)

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