ヴォーバンの城 - その③ | 雷神トールのブログ

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ヴォーバンが設計した稜郭がどんなものだったかを見てみよう。

ヌフ・ブリザック(Neuf-Brisach)は、1697年、ヴォーバンの晩年の作で現在、もっとも完全な形で残っている稜郭都市。場所はスイスに近い
ライン河を挟んだドイツとの国境。アルザス地方、上ライン県にある。

八角形をした稜郭はヴォーバンが提出した3つの案からルイ14世が選んだ。

2008年に、この町はユネスコの世界遺産に登録されている。

フランスの田舎暮らし-ヌフぶり

ヴォーバンの設計図はアラベスク模様のように美しい↓

フランスの田舎暮らし-設計図

町の周囲に防禦用の堀と壁を築く考えはイタリアから入って来た。三角に突き出た胸壁の両側から真近に迫った敵を挟み撃ちに射てる。この時代、鉄砲が武器に使われた。ヴォーバンは五角形が理想と考えた。

偶然かどうか? フランスという国土の地理的形状は五角形をしている。ブドウの葉の形と言う人もいる。先日投稿したタレーランがウイーン会議で主張した「正統主義」=フランスをナポレオンと大革命前のアンシャンレジームの国境に戻せという、その国境線はほぼこの五角形に近い。

ヴォーバンの城の一番大きな部屋、設計室には、このヌフ・ブリザックの模型が展示してある。また入口の階段の下には八角形に刈りこんだ
芝で飾っている↓

フランスの田舎暮らし-芝

お城の内部には3つの図書室がある。どれも大きな本箱に皮の背表紙で装丁された大小の本が並んでいる。保存状態がすごく良い。ヴォーバンは読書家でもあり本も書いた。

フランスの田舎暮らし-図書室

別の部屋には、パリの地図があった↓


フランスの田舎暮らし-パリの地図

暗くて見えにくいかもしれないが、セーヌ河にシテ島とサン・ルイ島のほかにもう一つ島が残っているのが見える。チュイルリー宮殿は公園との境に焼けてしまった建物が描かれている。

この地図は、「フロンドの乱」の第1フェーズ、パリの町人たちの蜂起でも活躍した町人(商人)組合の長、つまりパリ市長のチュルゴ( Michel-Etienne Turgot )が ルイ・ブルテズに作らせたとある。ブルテズは5年かけて通りや庭を実測調査した上で、この地図を作った。20部印刷され今日残っているのは数部。1部をジスカール・デスタン大統領がチュニジアの
ブルギバ大統領にプレゼントしたという。

ヴォーバンはフランスじゅうを駆け巡っていたために、バゾッシュのこの城にはたまにしか帰れなかった。留守中の城を守り、敷地を徐々に広げて行ったのは夫人の力だったという。夫人はほとんどバゾッシュを出ることがなく、毎日、沢山の部屋を大勢の人を使って管理し、60頭の馬の世話を切りまわしてゆくには
常に動き回らなければならなかった。ヴォーバンが亡くなる2年前に夫人は没した。

人生の大半を出張で過ごしたヴォーバンは、バゾッシュの土地を愛し、この城を「シェ・モワ= Chez moi、私のうち」と呼んでいたという。



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