ヴォーバンの城 | 雷神トールのブログ

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マグダラのマリアの遺骨が祀ってあるヴェズレイから10kmのところに、バゾッシュの城がある。ルイ14世の在位中、50年に渡って、フランスの外辺地帯に防塁を築き続けたエンジニア、ヴォーバン元帥の城。


フランスの田舎暮らし-シャトー
      軍人の城だけあって飾りのない質実剛健そのもののバゾッシュの城↑

ここは、もう森と湖と牧場のモルヴァン地方だ。ヴェズレイの聖堂の裏の見晴らし台から眼路の彼方に広がる丘の連なりが展望できるが、あれがモルヴァン。

第一次大戦中は戦争に反対し、スイスに亡命していたフランスの作家、音楽史家のロマン・ロランは晩年をヴェズレイの丘の中腹の家で過ごし、そこで没した。聖堂の裏からの眺めを「永遠の丘」と呼んだ。

フランスの田舎暮らし-風景
          バゾッシュの城の入り口から見たモルヴァンの丘↑


フランスを旅行すると方々でヴォーバンが築いたという稜郭に出会う。
フランスの北の工場に勤務した時、ときどき訪れたリールの街外れには、ヴォーバンが築いた稜郭の跡があった。モーブージュという街も彼が築いた。

今日も良好な形で残っている
稜郭だけでも、東のベルフォール、ブザンソン、ブルターニュ地方のカマレ( Camaret )、ピレネーではバイヨンヌ、ハンダエ、サン・ジャン・ピエ・ド・ポール、ベルギーのナミュールなどがある。

ここで言う稜郭がどんなものかというと、そう、北海道は函館の五稜郭を思い浮かべて頂ければ良い。

ヴォーバンの年譜を見ると、生まれは1633年(5月15日)。興味深いことにヴォーバンは軍人としての履歴を、フロンドの乱の反乱軍側で始めている。

幼いルイ14世の母親でスペインから
輿入れした摂生アンヌ・ドートリッシュとイタリア人の枢機卿宰相マザランに反抗しフロンドの乱を率いた大コンデ公連隊の下士官として出発した。1651年、時にヴォーバン18歳。翌年は騎兵連隊に入り負傷している。

フランスの田舎暮らし-肖像
             城の中に掛けてあるヴォーバンの肖像画↑


1653年にフロンドの乱は終わり、大コンデ公とともに、国王軍の一士官としてヴォーバンも、北方戦線に従軍した。1659年にピレネーの和平でスペインとの戦争が終わるまでにヴォーバンは4回も負傷し、中でもヴァランシエンヌの包囲戦で重傷を負っている。
ルイ14世は大コンデ公を許し、公も国王に忠誠を誓った。

フランスの田舎暮らし-鎧
              ヴォーバンが身に付けていた鎧と兜↑
        

北方戦線に従軍中にヴォーバンは塹壕内の指揮や、砲塁構築を担当し、稜郭設計の考えが熟していった。

このモルヴァンのバゾッシュの城には、エンジニアと共に、そこでヴォーバンが稜郭の設計をし、図面を引いた大きな設計室がある。伝令は
交代で24時間待機し、図面が出来次第、早馬を飛ばして図面を現場へ運んだという。

バゾッシュのお城についての詳細は次回に譲ることにする。
下に挙げた数字を見るだけでヴォーバンが、軍人として身の危険を顧みず、常に前線へ出て体を張って仕事をしたことが読みとれる。

ヴォーバンが
設計し建設した五稜郭の数 : 160
戦闘での負傷         : 6
従軍した戦役の数      : 49

 (つづく)


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