ダイニングの真下の地下にある巨大なキッチン。右上の写真がカレーム↑
ウイーン会議の列強の国の代表といえども、人間であるからには食事をする。カレームが腕をふるった美味しい料理に、国家元 首級の人でも、おお、これはなんとも美味ですな、とほろりとフランスとタレーランに情を寄せる。個人の、そうした食欲や味覚に訴え、国の利益を引きだす駆 け引きに持ち込む手腕は相当なもの。
パン焼き窯(左)を持つ大きな炉。仔牛が一匹丸ごと焼けそう↑
バブルの頃、パリ駐在員の重要な仕事は、一流レストランでの接待だった。日本からの出張者や、顧客のキーパーソンを食事に招き、会食をしながら、チラリと 営業上の重要情報を手に入れる。それはだいじな仕事の一部とみなされていた。バブルがはじける頃から、行き過ぎた接待は批判され、不況になってからはレス トランも潰れるところが続出し、美食のパリ・レストランにも影が差したが、一部ではまだ、食に訴える営業は続いてるだろうな。
食卓。椅子の数、招待客との晩餐の回数も厳密に決められていたという↑
タレーランの城の地下の大きな厨房や、ダイニングルームのテーブルを見て、ふうん、日本の商社の接待合戦も起源はタレーランにあるのか!と思わず感嘆の声を挙げたのでした。
書斎にあるルッソーとヴォルテールの像↑
タレーランはまた政治の裏にある女性の力を早くから洞察し、当時の流行のサロンに幾つも出入りし、特にスタール夫人とは交際を深め、夫人に大いに気に入られ愛人関係となり、恐怖政治時代の亡命先から帰国後、夫人の推薦で、総裁政府の外務大臣になった。
スタール夫人は大革命時代のフランスの蔵相ネッケールの娘で、作家、評論家↑
ほかにも女性関係は放恣で、革命時代の大画家、ドラクロワはタレーランの落胤という噂もある。
銅製のバスタブ↑
「メートル法」を議会に提出し、やがて世界中に度量衡の基準としてメートル法が採用されるようになったが、タレーランのお陰である。
タレーランの車椅子↑
お城訪問の最後に、庭の一角の別棟にあるレストランで、ヴァランセイ・チーズが乗ったサラダを頂きました。
札幌から、はるばるヴァランセイを訪ねて来られK子さんはご満悦のようすでした。








