「ユダヤ人解放令」について - その③ | 雷神トールのブログ

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1940年10月3日、ヴィシー政府は「ユダヤ人の身分規定(Statut=法的資格)と題する法律を制定した。

これは「ユダヤ人」をフランス社会から追い出すための法律で、この法律の規定により「ユダヤ人」と認められた者、ユダヤ人が経営する会社、商店にはその旨を明記した看板を掲げ、やがては経営陣から追放し、最終的には財産そのものを取り上げてしまう、いわゆる「アリアニザシオン」の一環として作られた。

ヴィシー政権はナチスドイツの圧力のもとにこの法律を制定したのかと言えば、そうではなく、極言すれば、反ユダヤの政策を実行するナチスドイツに占領されたことをいい口実として、自分たちから積極的に「反ユダヤ政策」を実行に移した。

1947年の裁判で検事総長のアリベール( Alibert )は、この法律の制定に当たってフランスの法務大臣とドイツ占領当局とのコンタクトは一切なかったと証言している。

ヴィシー政府は1940年のフランスの敗北をユダヤ人と外国人のせいだとしてユダヤ人の首相だったレオン・ブルムなどに責任を押し付け、フランスにおけるユダヤ人の影響を排除しようとした。

ヒトラーは政権獲得以前から、ユダヤ人の国際シンジケートが我々に戦争を仕掛けようとしているとパラノイアック(被害妄想的)な演説を繰り返し、ナチスドイツがポーランドに侵攻する前から、リトアニアやウクライナで起こっていた衝動的なユダヤ人排斥と殺害などをみてドイツ人の間に広範にあった反ユダヤ感情を利用し政権の座を獲得したと言っても過言ではない。

もともとフランスにはドレフュス事件に見られるように、軍と教会(特にイエズス会)を中心に根強い反ユダヤ感情があった。

遡れば、人権宣言が出た大革命の時代、封建貴族たちは国外に脱出し、国境付近に武力を集め、折をみて政権奪回を図ろうと虎視眈眈でいたので、彼らは共和国建設に反対だったし、よそ者であるユダヤ人に人権を認めることなど論外と考えていた。

宮廷ユダヤ人といわれる昔から王侯貴族の許に出入りし、戦争のたびに戦費を調達していた「役立つユダヤ人」は別格の存在だった。

ナチスのホロコーストが怖ろしくどんなに弁護をしても罪を免れないのは、こうした一部の金持ちユダヤ人を理由に、貧しいユダヤ人を大量に、家畜のようにウムを言わせず
数百万の人生をあたかも紙屑のように抹消したことにある。

ヴィシー政権が作った1940年の「ユダヤ人の法的資格(Statut) 」 の対象となり、財産を取り上げられたフランスのユダヤ人がどういった職業についていたかについての詳細な研究が今年の2月に出版された( Martin Jungius [ Un vol orgnise] fevrier 2012, Tallandier )。

それによると、銀行、保険、株式など金融分野は全体の7.1%に過ぎず、一番多いのがテキスタイル(繊維)業界で43.5%、次が不動産、報道・出版業で 17.2%、あとは商業(9.1%)、革製品(6.1%)、家具・美術商(6.1%)、機械・電気(5.5%)、化学(4.3%)といった順番。

ロスチャイルド一門の富豪がいることは確かだが、世界の金融の動きのみならず政治をもユダヤ人が支配しているというのは、敗戦や占領、不作や物価高など不幸への呪詛を「余所者の金貸しユダヤ」へ向け、民衆の深層にある反ユダヤ感情を、広範に噴出させ、
憎悪を煽るためのプロパガンダだったと著者は強調している。



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