体は全体がワイン樽のようだ。顎も額も眼も鼻も至るところ丸みがかり、鼻の下だけが長い。ラグ
ビーボールの一部を切って張りつけたような鼻の下は、彼の人間性が漫画的なことを示してい
る。彼とそっくりな犬の警察官が出てくるアメリカの漫画があったっけ、と啓は昔見たテレビ漫画を
思い出した。
ロロザはソルボンヌの総長にとりわけ慇懃に招待を受けてくれた礼を述べた。ロロザが席に着
き、めいめいがシャンペングラスを手にとって乾杯した。すぐにミキ・ド・サンファイユがお喋りの口
火を切った。才気煥発を流れるような言葉に織り込んだミキの会話はジャズのクラリネットのよう
に食卓の皆の耳を貫いていった。
テーブルにはロロザの前にワインのデカンターが置いてあった。ロロザ家はお手伝いさんも料理
人も置かない主義で、ロロザが自らデカンターを手にとり招待客のグラスに注いで回った。
「これはブルゴーニュ、ポマールです」
ロロザはそう言うと、空になったデカンターを2本目と取り替えた。
「う~む……これは、とびきりの逸品だ。ひょっとして六一年ですか?」
ソルボンヌの総長が溜息を吐いて言った。あながちお世辞とは言えない口調だった。
ロロザはゆっくりと太い首を折って頷いた。赤は六一年が最高だと総長は自分のソムリエ振りに
満足して言った。ヴィンテージもののワインなど飲んだことのない啓は、これを飲んだだけでロロ
ザ邸へ来た甲斐があったように思った。
夕食のあと、食後酒をふるまいながらロロザは今晩のために特別に倉庫から出した絵が隣の応
接に掛けてあるとみんなの注意を促した。今晩ここに招かれた人しか見ることが出来ない秘蔵の
絵ですと強調を忘れなかった。
応接間は故意に暗くしてあった。部屋の一面の壁は窓もなく、家具もいっさい置いてなく、ただ
濃紺のビロードで覆われた壁の真ん中を長方形に凹ませて、そこに淡い照明が当たっていた。そ
の窪みに一枚の五十号ほどの絵が掛けてあった。そして中央の壁を挟んだ両隣の壁には、一号
あるかないかのほんの小さな絵が左側に、白い紙の上にくっきりと線を描いたデッサンが右側に
懸けてあった。壁に沿って半円状に集まった客の背後でロロザが重々しいがやや投げやりな口
調で言った。
「さよう。レンブラントです。まだ若い頃の、一六三三年頃の作品で<シャボン玉を持つ少年>と題
されています」
シャボン玉を手に持った少年は頬がリンゴのように真っ赤だった。背景は少年の着ている黒服と
見分けがつかないほど濃い黒に近いセピアで塗られていた。
「巨匠の作品のうちで行方不明とされている数点のひとつです。これの入手については興味ある
方にあとでお話しいたすとして、どうかごゆっくり名画をお楽しみください」
どうせ贋物だろうという囁きが聞こえた。明度を落した照明に照らされたその絵は深いセピアの
闇のなかからバーントシェンナやオーカーの明るい色が浮かびあがるクレールオプスキュールの
見本のような絵だった。たとえ贋物としても充分に力量ある画家の手になったことは明らかだっ
た。啓は眺めるうちに次第にその絵に魅入られていった。啓は昔、レンブラントの版画の大胆で繊
細な描線に圧倒され感嘆した記憶がある。これは油絵だ。技法といいテーマといい人間的深みを
描き出すレンブラントは古典的巨匠として圧倒的な力を持った画家だ。そこに描かれた少年の顔
は、頬は真っ赤に燃え、顎にかけての肉付きが良く、大きな眼とずんぐりした鼻は、慣れ親しんだ
誰かに似て親近感を覚えた。
絵を肴にお喋りに沸く来客を背に、啓は長い時間その絵に見入っていた。やがて初めからこの
絵が本物の筈がないと割り切った人びとはロロザの悪い冗談だと言いながら帰って行った。ソル
ボンヌの総長もそのひとりだった。彼はいかがわしい事件に巻き込まれたくない気配を露わにして
そそくさと引き挙げていった。ロロザは玄関まで総長を見送り、何事か頼み続ける様子だった。
(つづく)