ヴィシー政府から死刑の宣告を受けながら、フランスのレジスタンスに呼びかけ、アメリカ、英国、
カナダなど連合国の助けを借り、ノルマンディー上陸作戦でドイツを追い払った。戦後何年か経
ち、ナトーをアメリカが支配し始めると、ナトーを脱退して、フランスからアメリカを追い出してしまう
んだ。ゴーリスムといって、フランスはアメリカ一辺倒でもないし、ソ連寄りでもない。第三世界と
手を結んで独自の国際政治を展開している。日本もすこし見倣うべきだと思うね。
君たちは、第一次世界大戦と第二次大戦の間のフランスの歴史を知ってるかね? ウオール街
の金融恐慌に発した世界不況からどうしたら脱け出られるかという経済問題、社会福祉政策の要
求、ウイルソンに代表される国際平和主義、ナチスドイツの脅威に対抗する軍事・防衛問題、ドレ
フュス事件に続くユダヤ人問題、スターリンの第二インターナショナルなど、今でも有効なテーマ
がわんさと噴出した時代なんだ。文学も美術も新しい技法、革命的な理論がつぎつぎ登場したと
ても面白い時代だよ。
君たちがもう少し大きくなったら是非この時代を勉強して欲しい。政治家の、ジャン・ジョーレス、
レオン・ブルム、アリスチッド・ブリアンなど名前くらい覚えておいて欲しいな。そう言うと先生は、
その時代で日本人にいちばん大事な話をしてくれた。一九二八年にパリで締結され、世界の六十
三か国が署名したパリ不戦条約。日本は最初の署名国のひとつだ。アメリカのケロッグ国務長官
とフランスの外務大臣アリスチッド・ブリアンの主導で、国際紛争に武力を使う事を永久に放棄す
ると詠った不戦条約だ。この文言に君たち何か感じないか? そうだ、日本国憲法の第九条だ。
日本の軍部は満州事変を起こし、国際連盟が調査団を派遣して、日本は侵略者として非難され
た。日本は国際連盟を脱退し孤立の道を歩んだ。それ以後のことは君たちも知ってのとおりだ。
諸外国は日本の満州での行為を、パリ不戦条約への違反だと糾弾したんだ。その後日本は、ドイ
ツ、イタリーと組み、ほとんど全世界の国を敵に回して第二次世界大戦に突入し、アメリカにも宣
戦布告をして無謀な太平洋戦争に国民を巻き込み、広島長崎に地獄図を現出し天皇の決断で
やっと敗戦を受け入れた。戦後GHQの指導で日本国憲法ができた。その第九条の戦争放棄の
文言は一字一句このパリ不戦条約第一条をそのままとったものなんだね。
君はルッソーを読んだことあるかね? 民約論。、まだだったら読むといい。僕が学生の頃ちょう
ど戦争のまっ最中でね。フランスへ行きたくても行けなかった。君はまだこれからだからな……。
先生は、当面のアンポと関係なく、もっと基本的なところで啓にフランスへ行けと吹き込んだ。そ
れはなにか自分が果たせなかった青春の夢を啓に託すような言い方だった。先生は、そこまで言
うと、仲間が気になるらしく、そわそわと立ち上がった。
「それじゃ、僕は連れんとこへ行かなくちゃなんないから。これで失礼する。元気でな。ガンバレ
よ。フランスへ行くんだぞ」
先生は遠ざかりながら振り返り、啓を見て手を高く挙げ白い歯を見せて笑った。その時はまだ薄
暮が降りはじめた状態で、どんよりとした雲が空全体を覆い、人々の姿も次第に無彩色のシル
エットに変わっていったのだが、オレンジ色の旗は遥か遠くにケシ粒のような点となって動いてい
るのを認めることができた。先生は、その点を目指して、背を丸め大股に歩を運んで行った。
(つづく)