を落とされ、東京を空襲で焼かれ、無条件降伏をした日本は、敗戦国として暫くはアメリカの言う
ことをきかねばならないだろうが、いつまで植民地や属国扱いに甘んじなければならないの
か? 少年の啓に反抗心、愛国心が頭を擡げた。
平和憲法を掲げながら自衛隊を持ち、アメリカと軍事同盟を結ぶ。核は持ち込まないと公言して
いるが、米軍が太平洋艦隊を寄港させ、基地を使用している日本に、入港の時だけ核をとり外す
筈がない。東京周辺の米軍基地には必ず核が持ち込まれている。Eが配ったチラシを見て覗いた
理科の階段教室の説明会では黒板に、東京に向けて核弾頭が発射され首都の上空にキノコ雲
が昇る図を描いたポスターが貼ってあった。
啓は親より上の世代の日本人が世界の大部分を敵に回してやった戦争のことを考えた。啓が
生まれた年に東京大空襲が始まり、乳飲み子だった啓は母親の背に負われて炎の中を逃げ回っ
た。記憶にはっきり残っているのは、幼稚園の前の大通りを米軍の戦車が轟音をとどろかせて何
台も走りすぎてゆく光景と、小学生になり、家の前の洋風ホテルのバルコニーにピンク色の顔の
米兵が現れ、毛むくじゃらの腕をパンパンと呼ばれる日本人女性の腰に回す光景だった。
少年らしい素朴な愛国心、民族感情、それに核戦争への恐怖が入り混じり、大人の世界へ飛
び込みたい気持ちが加わって啓は行動を決意した。啓は中学から仲の良かった級友Mと誘い
合ってデモに加わった。
その日、啓はMと数人の級友と校門を出、近くの集合場所でデモの参加者と落ち合い、グルー
プのリーダーの指示に従って、隊列を組んで行進を開始した。啓の列の指導者は連日のデモで
顔が農夫のように日に焼け、引き締まった全身の筋肉を躍動させてデモを導いていった。時折、
顔の筋肉が浮いてみえるほど大きく口を開け、シュプレヒコールを叫んだり、携帯マイクを口にあ
て、歌を唄ったりした。彼が主導して張り上げる声に合わせ、啓も胸いっぱいに吸い込んだ息を吐
き出しながら歌詞を叫ぶと、いつもは寂しさに紛れ忘れていた友情が目を覚まし湧き上がってくる
のだった。そして、夏祭りの神輿を担ぐ時のリズムで「アンポ・フンサイ」と掛け声をかけスクラムを
組みながら走ると、右隣のMや左の見知らぬ青年とも連帯の感情で繋がれる思いがした。行列
に加わった人々には一様にある種の解放感があって、デモの雰囲気は夏祭りに似ていたが、街
路樹と野次馬の群れに隠れながら追尾してくる私服刑事が現れるたびに隊列に緊張が伝わっ
た。
やがて国会議事堂が見える広場へ出た。周辺には何十万という群集の巨大な隊列が幾重にも
重なって動いていた。人々はほとんどが白いシャツ姿のため、その幾重にも重なる人の列は白い
波のように見え、絶えず押し寄せてくる巨大な白い潮が議事堂前の広場で渦を巻き、波が引くよ
うに退いていった。
啓はその巨大な群集の動きを眺めながら隊列の動くままに議事堂の脇を通り抜けていった。隊
列は、三宅坂へ向かい、国立劇場建設予定地の広大な空き地に集合していた巨大な群集に合
流した。啓はそこでなにかを待ったまま夕闇があたりを覆うまですごした。三日後の午前零時に
は改定安保条約は自動承認されるのだ。
(つづく)