芭蕉は<奥の細道>の冒頭でこう書いた。
旅とは人間にとってなんなのだろう。まだ見ぬ異国への憧れ。
”漂泊の思い”を何故人間は抱くのだろう。
17世紀のオランダはフランスより遙かに文化が進んでいた。いわばヨーロッパの文化の中心だった。デカルトがアムステルダム滞在中に暖炉の火を見ながら「コギト・エルゴ・スム」を想い到った。ヴァレリーはレンブラントとデカルトが、運河の橋の上ですれ違ったかもしれぬと考えると感慨深いと書いている。レンブラントは生涯に50枚近くの自画像を描いた画家だ。
ボードレールがまだ見ぬ国への憧れを詩に歌ったのもオランダを通じて東洋を想ったからだった。マラルメは、「逃げよう、彼方へ……逃げよう」と現実逃避を詩に歌ったが、これもオランダを空想してのことといってよい。オランダの東インド会社を通して伝わる東洋の物産と文化とは、長い間、西欧の知識人の「憧れ」の対象だったのである。
ボードレールは<悪の華 >の第LIII番目の詩「旅への誘い」でこう歌っている。
放浪癖が性分の船たちが運河に眠るのを見よ
豪華な天井、深遠な鏡、東洋の素晴らしさ
そして、有名なリフレイン
そこではすべてが整然として美しい
豪奢、静謐、官能
官能(ヴォリュプテ)という言葉はボードレールのキーワード。官能美、肉欲、
非常に現代的な言葉だ。
そしてボードレールこそ、”象徴詩”もしくは ”象徴派”という19世紀後半から
20世紀にかけてのフランスの文学運動の源流を作った詩人なのだ。
人は象徴の森を通じて、それを想う
香りと 色 と 音が相互に応え合う
(コレスポンダンス)
香りは子供の肉の様に新鮮だ
とこの詩人が書く時、そこには子供の肌の肉感、触角と視覚と嗅覚とが呼応しあっている。最近北ヨーロッパで流行のペドフィル(幼児愛好趣味)の起源はどうもボードレールにあったらしい、と考えることもでき、それほどボードレールは現代的なのだ。
ヴァレリーは抽象的思考ができる詩人だから、旅への誘いや現実逃避の現象を「他のものになりたい」人間の希求とした。理想を追い求めるのも、他国が良く見えるのも、隣の庭が綺麗に見えるのもみなこの人間が持つ基本的欲望と見た。現状から脱出して他の状態になりたいという人間の基本的欲望。「革命」の願望とも、「自由」への希求とも言い換えることができる。
余談だが、アルツハイマー症の人は今いる場所から他のところへ行きたがる。めのおの観察では、知能や理性が衰えても、”他のところへ行きたがる” 欲求だけは死ぬまで無くならない。それほど基本的な欲求の様だ。
(つづく)


