この団地はいわゆるHLM(Habitation Loyer Modere = 低家賃住宅)のひとつでフランス政府が社会政策として各市町村へ義務付けている集団住宅。近年、パリ郊外のこの種の団地で若者の反乱が起こった。
レ・フジェールはその名のとおり、緑豊かで夏の夕方になると前の道の菩提樹の並木がいい香りを漂わせ、団地の外れの小道から一歩森に入ると、そこには自然が人間の産業社会とは無関係に、天然のままの姿で息づいていた。
近くには、森にハイキングコースを定めたデンクールさんを記念する塔が立って、登ると森が遙か遠くまで見渡せた↓
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「あと5件しか残ってないわよ。急いでください。5千フランで予約できますよ」
販売事務所の女性はそう言って、予約を急かせた。
アヴォンに来たのは物置に使えるような小さな小屋でいいから不動産を持ってみようと気持ちが動いたからだった。パリのアパートは2DKで荷物が増え手狭になった。
大家のお婆さんは一時代昔の人で、家賃の値上げも僅かで驚くほど安かったのだが
亡くなって姪が遺産相続したとたん、今までが安すぎたとばかり3カ月おきに値上げを
迫った。周りの家賃もどんどん上がり続ける。住居費が家計に占める割合が脹らんで行く。早晩、生活が苦しくなるのは目に見えてる。
アヴォンのひとつ手前のボワ・ル・ロワは森に囲まれた閑静な住宅地でいいのだが商店がほとんどなかった。不動産屋が見せてくれた物件は小ぶりな家なのに中に階段が二つもある。指物師みたいな職人さんが住んでいたらしく、下の階の壁一面に木造の袋戸棚が並んでいる。それに、銀行から借金しなければ買えない値段だった。
もう一軒は、畑付きの物置小屋は手頃な大きさだったが、家と離れているのに一緒でないと売ってくれない。諦めてアヴォンから電車で帰ろうと駅の近くへ来た時、レ・フジェールの販売事務所の看板を見たのだった。
3DKで南向き。北側にはバルコニーがあり広い窓から森が見渡せる。値段はなんと当時の為替レートで600万円ほどだった。ほんとにこんな値段で買えるの? 安すぎやしないか心配が胸を過った。
予約金を払ってから2週間は熟慮期間だから、考えが変わったらキャンセルできる。予約金は返ってくる。翌日、さっそく予約金を払いに行った。駅まで歩いて7分の距離だし、森の入口へは2分で行ける。
土日だけ使うにしても理想的じゃないか。それに、この値段なら銀行に借金しないで現金で払える。
2週間の熟慮期間はあっという間に過ぎてしまい、このアパートを買う事が決まった。
(つづく)
