フロンドの乱 その11 パリ防衛軍の編成 | 雷神トールのブログ

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高等法院はパリ防衛軍を組織した。大コンデ公の実弟のコンチ公が大法廷に出て来てフロンド側の軍の指揮を取ると申し出た。これに対してエルブッフ公は、ロレーヌ地方の貴族で、宗教戦争の時にブロワ城で暗殺されたカトリック・リーグ(同盟)の長ギイズ公の血筋だが、指揮は私が取ると譲らなかった。割って入ったのがモレ裁判長で、二人の和解策として、コンチ公がパリ軍の総指揮官。エルブッフ公は貴族出身者が多い騎兵隊の指揮を委ねるとした。もう一人、ボーモン公爵というのが現れ、彼には平民出身者からなる民兵の指揮を委ねた。

ここでちょっとだけコンチ公について触れておくと、生まれつき健康に優れなかったので親が僧職に就かせようと、クレルモンのコレージュでジェズイット(イエズス会)の教育を受けさせた。喜劇作家のモリエールと同窓生だった。サンドニ僧院の僧と、クリュニー修道院の僧に任命されている。1643年に「文学士 ( Maître ès Arts )」の称号を獲得、46年にブルジュ大学の神学の卒業証書を得た。

フランスの田舎暮らし-Conti200


このようにコンチ公は軍事とはまるきり無縁の世界で育った。後年、モリエール劇団の後援者となるが、17世紀フランスで流行したカトリックの一派で「パンセ」を著したパスカルや悲劇作家のラシーヌと同じく、ジャンセニスムの影響を受け、モリエールの喜劇やコルネイユの武士と恋愛の情念に挟まれて葛藤する人物の悲劇を、後に批判することになる。

フランスの田舎暮らし-princeConti270


健康に優れず、少し猫背だった上、軍事的経験は皆無。全くの文人だった。ちなみにジャンセニスムとはカトリックからは異端とみなされる一派で、「アウグスチヌスの恩寵論をもとに、人間の自由意志の無力さ、腐敗した人間本性の罪深さを強調し、神の恩寵の意味を絶対化した。

フランスの田舎暮らし-ロングヴィル

コンチ公は妹のロングヴィル公爵夫人を誰よりも愛していたようで、1650年にパレ・ロワイヤルで3兄弟(大コンデ公とコンチ公、義弟のロングヴィル公爵)が捕えられヴァンセンヌの監獄やル・アーヴルの城砦に幽閉されると、妹に会えないことがコンチ公を絶望に陥れ、魔術で妹と交信しようとしたり、自分で頭を傷つけたりと半ば狂人の振舞いをする。


軍隊を動かし維持するには軍資金が要る。マザランが独裁的に決めた税金値上げに反対し立ちあがったパリ市民と高等法院判事達であったが、自分たちの軍を動かす軍資金の調達に駈けまわらねばならない羽目になった。メスヌ裁判長が自分の家の銀食器を全て王室造幣局へ提供すると申し出、他の裁判官もそれに倣った。この時代、金持ちの家の資産に占める銀食器の割合は5分の1にものぼったという。戦時に銀器を供出することは昔からの習慣だった。

パリのブルジョワの中でも金持ちは、どさくさにまぎれて財産を略奪されるのを怖れ、家具や貴金属、宝石をこっそり荷車に積んで、乞食や百姓に変装しパリを脱出しようとした。が、パリの門を守る民兵に見破られ追い返された。いくら変装しても身振りや話し言葉、話し方まで急に変えることなど出来やしない。

マザラン御用達の銀行家を筆頭にパリの金持ちの家、特に徴税請負人の家に隠匿された金銀宝石を差し押さえに向い、地下倉のワイン樽の後ろや、暖炉の中などに財宝が隠されていないか探し回ったが、ほとんどの金持ちは手回し良く、事前に地中に穴を掘って埋めたり壁の穴に隠した上を漆喰で塗り固めたりして徴発を免れた。

面白いのは、ソルボンヌ大学で、総長自ら大法廷にやって来て、ラテン語で格調高く賛辞を贈った後、フロンド派を応援したいので、1万リーヴルを集めて持って来たと告げた。教授や学生がフロンドを支持し結構な金額を提供したのだった。

宮廷がサンジェルマンへ逃げ出してから数日後の1月10日には1200人の高等法院書記官が裁判所前に集まり、軍隊の事務を引き受けると申し出た。

結局は高等法院の職員全員に臨時税を収入に応じて課すことで50万リーヴルの戦費を賄うことになった。

こうして出来た防衛軍は総勢8千人。4千人が歩兵で、4千が騎兵という構成だった。経費を見積もると、歩兵に1日7千リーヴル。騎兵に8千リーヴル。兵、将校、馬、太鼓、小姓などの掛かりも入れ、総経費は月当たり46万5千リーヴルと推計された。(今日の円に換算していかほどになるか知る由もないが、恐らく10億円近い額ではないか?200年前のジャンヌダルクの身代金が1万リーヴル、1419年にノワイエ・シュル・スランの町が売られた金額が5万4千リーヴル。仮にメスヌ裁判長が供出した銀器の価値が5千リーヴル=1千万円とすると、月当たり9億3千万円となる)

懐妊していたロングヴィル公爵夫人は、パリの市庁舎で出産した。市庁舎前の広場で華やかなお祭りが催された。天使と呼ぶにふさわしいフランス第一の美女のロングヴィル夫人は乱の間じゅう、天性の美貌と優しさを大いに活用し、敵将を色仕掛けでフロンド支持になびかせようと活躍する。


(つづく)

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