フルーツのお土産が効を奏したのか、この日は、渉が英文の翻訳をしなくても良く、先生が論文執筆中にご自分で調べられたことを要約し、一方的に話して下さった。渉は、先生が少し辛そうに、ときに楽しそうに、話されるのを黙って聴いているだけでよかった。
国際連盟 (League of Nations )は1920年に発足して1946年に解散した史上初の国際平和機構だけど、わずか26年と短命だったわ。
戦争を廃絶しようって理念にもかかわらず、結局は第二次大戦の勃発を防ぐことが出来なかったわね。
提唱国のアメリカ合衆国自身が、最後までメンバーとして加盟しなかったってことが連盟がうまく機能しなかった最大の理由として挙げられるのよ。
ウッドロウ・ウイルソンは現職の身で初めてヨーロッパを訪問した合衆国大統領よ。ヴェルサイユ条約に署名するために来たわ。
ウイルソンは民主党から出た大統領だったの。だから共和党が多数を占める上院の反対に遭った。上院外交委員長だったロッジなどモンロー主義を唱える議員の反対で合衆国自身は最後まで国際連盟に参加していないの。それとロシア革命直後のソ連と敗戦国のドイツは参加を認められなかったわ。
このウイルソン大統領がアメリカの下院で1918年1月8日に行った有名な演説「14カ条の平和原則」で国際平和が提唱され、ヴェルサイユ条約の第一篇に基づいて国際連盟規約が定められて連盟が設立されたんだわ。原加盟国は42カ国よ。
日本は、(当時は大日本帝国って仰々しい名前を名乗ってたわよ)、1933年に脱退するまで、常任理事国であり、国際連盟事務局次長に新渡戸稲造が選ばれるなど、中核的役割を担っていたのよ。
連盟に加入した当時の首相は原敬だったわ。
黒犬が部屋に入って来たので、先生はまた「クッシェ~・クッサン!」と大声で命令し、犬は大人しく言いつけに従うのだった。
柳条湖事件を契機に日本は満州全土を制圧し、清朝最後の皇帝・溥儀を執政に満州国を建国した。
中華民国はこれに抗議して連盟に提訴する。国連はイギリスのリットン伯爵を団長とする「リットン調査団」を派遣して満州国の実態を調査した。
1932年10月2日に公表されたリットン報告書は序説と10カ条からなる報告書なんだけど。序説で委員会設置の過程を書き、第一章 で中国の最近の歴史を詳述したあと、第2章で満州国について述べてるわ。そこには、中国が満州に無関心で、満州の今日の発展は日本の努力によると書いてあるのよ。
第3章で、日本の満州における権利を説明し、世界に類例を見ない特殊性を認識し、鉄道、商租権その他に関する日中両国間の諸争点、特に満州事変勃発前数年間の重要問題を解説してる。
第四章が重要なんだ。ここで9月18日当日と、その後満州で起こった事件を述べてる。日中両軍の間の感情が緊張し、日本は万一の敵対行為に対して周到な計画を立て、満鉄線路の爆破を蒙るや(中国側の仕業のように見せかけ実際は関東軍の一部がやったのよ。その事実が、昭和30年になって当時の関東軍の参謀だった花谷(ハナタニ)正少佐が手記を書いて暴露されたのネ)。関東軍は迅速的確に中国側の駐屯地を砲撃した。
ムクデン事件が日本側の陰謀だったってことは、秘密裏に24センチ榴弾砲を「石碑材料」とか風呂桶とか「高官のお棺(ウヒヒと先生は面白そうに、かつ自嘲気味に笑った)」とかに偽装して客船で運び、中国人のクーリーに変装した日本兵が極秘裏に独立守備隊まで運んで、営内に作られた砲座に据え付け倉庫に見せかけて隠してあった。このひとつをとっても関東軍は、あらかじめ奉天兵工廠とか北大営とか飛行場を砲撃する計画だったってことがわかる。中国側には攻撃の計画はなかった。報告書も当夜の日本側の軍事行動は正当防衛の措置とは認め得ないとしたの。
総じてリットンは「日本の満州における特殊権益」は認めたけど、「満州事変は正当防衛には当たらず」、報告書が出来る前の3月1日に成立した満州国を認めず、「満州を中国に返したうえで、日本を含めた外国人顧問の指導下で自治政府を樹立するように」と報告したわ。
1933年2月24日、国際連盟特別総会でリットン報告を採択すべきか否かが審議され、賛成42、反対1(日本)棄権1(タイ)の全会一致で可決された。可決直後、松岡洋介日本全権は「もはや日本政府は連盟と協力する努力の限界に達した」と表明し、その場を退席した。この連盟脱退は小学校や中学校の歴史で習ったでしょう。3月27日に正式に脱退を表明し、2年後の35年3月27日に脱退が正式に発効したわ。
戦争に関しての連盟とパリ条約の違い?そうだったわね。それについて今日話すことになってた……。
連盟は若干の戦争を許容し、それ以外の戦争を禁止したのよ。禁止された戦争に対しては罰を加えたわ。
罰としては、具体的には、アンバルゴ(輸出禁止)とか海外資産の凍結よ。アメリカは日本への石油の輸出を禁止したでしょう。
パリ条約は、戦争の非合法化という理念の表明に終わり罰則がなかったのよ。
この二つを合体させることが課題となったけど実際は不可能なことよ。
連盟の規約では、ある個所には全面的に戦争を禁止し、ある条件の許に戦争を許容するって、全く矛盾した条項を掲げることになるものね。
(つづく)
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