パリについて本をいろいろ読んだ中で、中央市場が面白そうなので行ってみたくて探した。いくら探しても見つからず、ガイドブックと地図ではここらあたりに青物、魚、肉の卸売市場の巨大な屋根が見えるはずなのだが、一向に見つからなかった。市場の一角にある四角な噴水が見つかったので、渉が立っている場所の周辺が中央市場の筈なのだが、影も形も無く消え去っていた。暫く経って行ってみると周辺にパネルの塀が巡らされ中を地中深くパワーシャベルが巨大な穴掘り始めていた。後にそこがレ・アールの地下ショッピングセンターと映画館、プール、RERと地下鉄の乗り換え駅などが集中した再開発地区となった。
ポンンピドウー文化センターは既にできていた。通りを渡りマレー地区へ入る。エリザベットが説明してくれた「ホテル・パルテイキュリエ」いわゆる貴族の館が沢山並んでいる。マレー地区は歩いて楽しい一廓だ。
マレー地区は、その名が示す通り、かつては湿地帯だった。埋め立てて貴族のお館が次々と建った。1960年に再開発計画が発効するまでは、貴族のお館に混じって小さな商店が並んだユダヤ人街だった。今も、リュ・デ・ロジエ(バラの木通り)にはシナゴーグ(ユダヤ教会)が3っつ固まってある。
フラン・ブルジョワ通りという名前が渉は好きだった。日本を出る直前まで勤めていた画材屋で輸入を担当していたが、フランスから輸入していたキャンソン紙とともに油絵具のルフラン(ブルジョワ)という銘柄に思い入れがあったから。フラン・ブルジョワ通りを進むと大きな石の壁と門に出会う。カルナバレ博物館はフランス大革命に関係する資料が展示してある。ルイ16世処刑が決議された日の夜、パレ・ロワイヤルで暗殺されたサンファルジョー出身の若き法務官ルペルチエのお館がカルナバレ博物館に隣接してある。
フラン・ブルジョワ通りをさらに進み、チュレンヌ通りを横切るとヴォージュ広場に出る。渉はこの広場に来て見たかった。
建物が密集した中に正方形の四辺が赤いレンガ造りの壁のまったく同じスタイルの建物に囲まれた広場。
渉は学生時代、アルチュール・ランボーの詩と生涯についての小冊子の中に、詩人の生れ故郷、シャルルヴィル・メジエにパリのヴォージュ広場とうり二つのシンメトリックな建物に囲まれた広場の写真を見た。謹厳そうなランボーの母親が腕に籠を抱き、黒くて長いスカートを引きずる様にして広場を横切ってゆく。そんな光景を想像しては、はやくフランスへ行きたいと夢見ていた。
アルチュール・ランボーの故郷、アルデンヌのシャルルヴィル・メジエの中央広場↑
ヴォージュ広場はかつてロワイヤル広場と呼ばれ、パリで最も古い広場のひとつ。砂を敷いた広場で騎馬試合が行われた。有名なのはフランス王アンリ2世がスコットランド衛兵隊長のガブリエル・モンゴメリと騎馬試合を行いガブリエルの槍がアンリ2世の眼に刺さって王は死んでしまった。1559年7月10日のこととある。
広場は正方形で中はマロニエの大樹が生え、四つの噴水とマロニエに囲まれた中央にルイ13世の石像が立っている。
この広場の一角にヴィクトル・ユゴーが住んでいたアパートがミューゼアムとなって開放されている。石の列柱と赤い天井のアーケードを潜って6番地を探して行くと南東の角に入り口が見つかる。この建物の2階(日本風では3階)に19世紀ロマン派の巨匠は1832年から1848年にかけ16年間住んだ。
ヴィクトル・ユゴーと言えば日本ではレ・ミゼラブルの作者、小説家として知られているばかりだけども、フランスでは大詩人として小学校でも詩を暗唱させる。王党派の保守政治家として国会議員に選ばれたが時の権力者ルイ・ナポレオン・ボナパルトに反抗しレジスタンスを試みた為に首に懸賞金が懸けられ、1851年12月にまずブラッセルに、ついで英仏海峡のガーヌゼー島とジャーゼイ島に長く亡命生活を送った。「小粒のナポレオン Napoleon petit 」などクーデタで権力を握ったルイ・ナポレオンを批判する文書を出版している。
レ・ミゼラブルはヴォージュ広場のこのアパートで書き始められた。最愛の娘レオポルデインヌが結婚して半年後に夫シャルル・ヴォークリとセーヌ川を小舟で遡る最中、突風で転覆し水死してしまった。娘の突然の死を悼んで数年間喪に服す暮らしから立ち直るために人類愛の象徴たるジャンバルジャンを主人公とし小説を書いた。「レミゼラブル」は1862年4月から6月にかけて出版された。
ヴィクトル・ユゴーは早くから死刑廃止論者で、スイスはユゴーが宛てた手紙の影響もありジュネーヴ市は1862年に死刑を廃止した。
小説レミゼラブルは大成功で、ユゴーの名は世界的に知れ渡った。ユゴーの死に当たりフランス政府は国民的英雄として文学者では稀な国葬を行った。凱旋門の下に柩が安置され大勢の市民が葬列に加わった。まさに国民的詩人、文学者だった。
ヴィクトル・ユゴーが描いた墨絵のような一筆がきの絵が展示してある。それをみるとユゴーという詩人があるヴィジョンを持っていたことが解る。1866年に発表された「海の労働者」は表現も平易でイメージを浮かべ易く、フランス語初歩の人にも読みやすい散文詩。
(つづく)
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